Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「ガウディとフンデルトワッサー」について
「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「二つの未完の教会に隠されたガウディのメッセージ」と「フンデルトワッサーの人を引きつける力」のまとめを行います。著者によるガウディとフンデルトワッサーの並列が私には新鮮でした。ガウディは正真正銘の建築家、フンデルトワッサーは絵画を発展させた形で建築を行った人で、建築に関してはほとんど素人と私は理解しています。まず、ガウディの「サグラダ・ファミリア」と「コロニア・グエル教会」について。著者はガウディ建築の印象を次のように述べています。「敏感な人ならおびえる。大きく括れば胎内感覚と言えるが、普通の胎内感覚とは強さがちがって、野獣の胎内というか、胎内の底からふつふつ生命力が湧いてくるような感覚なのである。」次にフンデルトワッサーとの比較について。「ガウディとフンデルトワッサーの差について考えてみよう。ともにグニャグニャ不安定形で、彫塑的造型なのだが、ガウディにはフンデルトワッサーにない秩序が感じられる。相当グニャグニャな《コロニア・グエル教会》にもリンとした全体支配力が働いている。骨格意識といえばいいか、部分と全体の関係がしっかりしているといえばいいのか、そうした見えざる秩序感を生んでいるのは平面計画と構造計画がちゃんと存在するからにちがいない。ところがフンデルトワッサーは、無限自己増殖というかアメーバというか、部分と全体の区別もなければ、骨格意識もない。平面と構造が、正確にはその意識が、欠けている。作りかけで止めた彫刻と言えばいいのか。建築と彫刻を分けているのは、平面と構造の意識なのである。~略~フンデルトワッサー的部分の正体とはなんなんだろう。論証ぬきで結論だけ言ってしまうが、幼児性ではないかと、にらんでいる。誰でもかつて子供の頃、今はもう忘れてしまったが、フンデルトワッサーみたいな粘土細工やお絵かきをやっていた。」と著者はフンデルトワッサーに対して感覚的な捉えをしています。私は20代の頃、ウィーンに住んでフンデルトワッサーが教室を持っていた国立美術アカデミーに在籍していました。その時に一度だけフンデルトワッサーに会っています。彼の発した言葉は外国人に理解しやすいドイツ語で、フンデルトワッサーの芸術に対する考えを伝えてくれました。彼は色彩の重要性を説いていましたが、自己の感性に正直に生きている人なんだなぁと、私はその時思いました。著者のいう幼児性というのも頷けます。フンデルトワッサーは、独創的な色感と自由奔放な色面構成で国際的に認められた芸術家ではないかと私も思っています。