Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「第五章 そのほかの尊像」について
「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の中の如来、菩薩、明王、天の四つのセクションについて読み終えましたが、日本にしかない独自の尊格もあり、第5章にそれらを網羅しています。「日本に仏教が伝来し、広まっていくあいだには、さまざまな経典、仏像や画像がもたらされた。造像活動もそれを反映して徐々に尊格を増やし、『如来、菩薩、明王、天』の四つのセクションに収まらない尊像もつくられるようになってゆく。それは何かといえば、ごく大雑把にいうと、神と人の像。」その代表的は像は8つあり、ひとつずつ解説を引用していきます。まず蔵王権現。「奈良・吉野の金峯山で、平安時代初期より信仰されるようになった尊格。」次は青面金剛。「もとは奇病を流行らせる鬼神だったが、太元帥明王に討たれ、病魔を退散させる善神となった。」次は僧形八幡神。「剃髪で袈裟(衲衣)をまとう坐像で、見た目は地蔵菩薩や祖師像といわれてもおかしくない姿をしている。」次は閻魔王。「霊魂が赴く冥界にあって、死者の生前の罪を裁き、その行く先を決める裁判官が閻魔王である。」次は聖徳太子。「用明天皇の皇子として生まれ、仏教の精神をもって国を治めようとした聖徳太子(574~622)は、日本における仏教隆盛の立役者の筆頭である。」次は羅漢。「修業をまっとうし、もはや学ぶものはないという最高の境地に達した聖者のことを羅漢という。」次は十大弟子。「釈迦の弟子のなかで、もっとも優れた十人を十大弟子という。彼らは羅漢であるが、釈迦から直接に教えを受けた人々として、特別な存在となっている。」最後は祖師。「一宗一派を開いた人物や、中興の祖とよばれるような教えを継承した人のことを、祖師という。~略~とくにすぐれた祖師像が生まれたのは鎌倉時代で、写実性が重んじられた時代の彫像は、像主の肉体的特徴ばかりか精神性にまで踏み込んだ造形が実現された。」私は運慶が制作した無著と世親の木彫を、博物館でじっくり鑑賞したことがあり、彫刻としての完成度に息を呑む迫力を感じました。大陸から最初にもたらされた仏像は金銅仏だったと思いますが、日本は木が豊富なため材質は木材に変わり、木彫技術が進んだのではないかと思っています。一木造りや寄木造りなど現在に残る技術は素晴らしいものがあると感じています。今回「仏像図解新書」を読んで基本的な知識を得ることができました。仏像は祈りの対象なので寺院で拝観するのが良いとは思いますが、最近は博物館や美術館で鑑賞の対象として見ることができるようになりました。広い空間の中で照明を当てて、周囲を回って見ることができるのは、宗教性が希薄な私にとっては有難いことです。西洋彫刻の人体塑造から学習を始めた私が、仏像に興味を持ったのは鎌倉時代の写実的なものに気持ちが引き寄せられたことがきっかけでした。飛鳥や平安時代の特徴がそれに続いたのですが、今では静謐な仏像が好きになっています。仏像巡りがしたいというのが私の本音です。