Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「陶器から彫刻へ」について
「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第3章 彫刻的陶器への発展と民衆的木彫の発見(1887末~1888末)」に入り、今回は「3 陶器から彫刻へ」をまとめます。ゴーギャンの作り出した陶芸の壺に女性塑像が付加された事で、まずこんな文章がありました。「この時期、とりわけ陶器と彫刻の総合としてゴーギャンが新しく試みたのは、人像壺および小像、マスク(人面)あるいは顔全体による装飾のある壺であった。」本書に掲載された画像を見ると、彫刻された女性の顔が、もはや壺に付加されるのではなく、壺の一部をなしているように見えます。続いてこんな文章もありました。「板づくりという陶芸家の手法を用い、壺の体裁をとっているが、胸像と呼ぶにふさわしいものといえる。しかし胸像としてみれば、西洋の人体表現の前提である量塊(マッス)や量感(ヴォリューム)がなく、核心部を欠き、器の表面上で表現される、いわば『中空の彫刻』なのである。」この文章に本書のタイトルが出てきました。ゴーギャンの立体作品の特徴を示す「中空の彫刻」は、壺に付加した装飾によって表されたものでしたが、これは彫刻全体に対して新しい概念を生み出すことになりました。量塊(マッス)や量感(ヴォリューム)がない立体は、まさに20世紀の彫刻の歩みそのものと言えます。「仮想的なヴォリュームをもつ、すなわち彫刻の伝統的なヴォリュメトリックな概念から逸脱した新しい彫刻がここに生み出されていることが知られるのである。それは壺の表面上で展開する平面性、絵画的アプローチによっていた。」さらにこんな文章も引用いたします。「中空の空間を覆う表面上での表現、断片的人体表象、そしてこれらの装飾的構成は、ゴーギャンに不思議な喚起力をもつ創造物を生み出すことを可能にした。レダと白鳥のモティーフが壺の周囲を囲むように配され、各々の側面がつぎつぎと思いがけない場面を繰り広げるため、鑑者は一方向からでは作品の全体を把握できず、周囲を回って鑑賞することを促され、作品の世界に参加するように招かれる。」本書はこの後に続く論考の展開として、器の開口部のもつさまざまな意味にも触れていました。私にとって一番関心を惹いたのは、新しい彫刻の概念がその道を極めた彫刻家からではなく、絵画性の中から見いだされたことでした。西洋彫刻の歩みからすれば、これは大変大きなことと言えます。