Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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ヨーゼフ・ボイスの遺したもの
現代美術を牽引してきたドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイス。1986年に65歳で逝去したボイスはどんな人物だったのか、このNOTE(ブログ)でも過去に幾度となく取り上げてきました。横浜のミニシアターでボイスのドキュメンタリー映画を上演していたことがあり、そこでボイスによるパフォーマンスを私は考えを巡らせながら観ていました。先日出かけた埼玉県立近代美術館で開催していた「ボイス+パレルモ」展では、ボイスの残したインスタレーションの一部を見ながら、もう一度ボイスのことを考えてみようと思ったのでした。「ボイス+パレルモ」展の図録から些か長い引用をさせていただきます。「ボイスの多岐にわたる芸術実践、とりわけ1960年代以降に展開されるアクション、マルチプル、インスタレーションはいずれも、働きかけることを目的とする。その『刺激剤』なる比喩からも窺い知れるように、ボイスは挑発するため、触発するために作品を手がけていた。とりわけ、作者自身を媒体とするアクションは、その芸術において中心的な位置を占めるだろう。たえず動き、さまざまに関係を構築しては、自ら塗り替える…そんな既存の枠組みの全てに揺さぶりをかけんとするボイスの実践は、けっして静観され、味わわれるべきものではない。このようにボイスの芸術は、流動を志向し、固定化を忌避する。しかし、だからこそボイスは、とりわけその死後、ある難題を抱え込むことになるだろう。働きかける主体、つまりボイス本人の不在が避けがたく固定化を招き、遺された作品は、もっぱら眺める対象へとその在り方を変化させざるをえなくなるからだ。ボイス亡きあとの作品は、与えられた機能をもはや発揮できなくなってしまった『死物』であるのか。それとも、ボイスの理念を知るための縁としてはまだ有用な『遺物』でありえるのか。いずれにせよ、刺激の度合いが無化ないし低下することは避けられない。ボイスの死後、その作品は変質を余儀なくされる。」(福元崇志著)この論考によって私は展覧会場で目前に存在するボイスの遺したもの(物質)に納得をさせられました。それでもボイスの存在は独特な光彩を放っていることは確かで、現代美術の歩みに大きな一石を投じたと私は考えております。