Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「晩年の作品」について
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(アンリ・フォション著 原章二訳 白水社)の「第9章 晩年の作品」についてのまとめを行います。最初の文章に「芸術家の晩年はふつうの人の老年とはちがう。芸術家の老いはしばしば衰微ではなく、逆に新しさをもたらすのである。ティントレットもレンブラントも壮年以降に自己を開花させたが、寡黙でおだやかなピエロもまた、人生の暮方において探究をやめなかった。」とありますが、晩年の作品では代表する4作品を取り上げています。まず《サンタントニオの多翼祭壇画》について。「フレスコ画から15年、板にふたたび向かったピエロの喜びといおうか、一種の解放感が伝わってくるようだ。~略~石壁からの解放と油彩の使用が、この祭壇画の『受胎告知』に見られる透視図法を可能にしたともいえる。~略~この祭壇画におけるピエロの点描的な筆づかいは、フランドルの細密画の影響というよりも、板絵の手法への回帰と見たほうがよいだろう。」次は《セニガッリアの聖母》について。「画家の関心は首飾りの細部や衣裳に向けられているが、構図全体の骨組みはいささかも揺るがない。手の線、頭部のまるみにピエロ独特の逞しさが感じられるが、それはやがてウルビーノのもう一人の天才ラファエッロによって受け継がれることになるだろう。」次は《キリスト降誕》について。「これはながくピエロの子孫の家にあったとされ、のちにフィレンツェに移されたものだが、とにかく一風変わった降誕画である。~略~イタリア人文主義の盛期に、人間像において個から離脱するのは至難の技であったが、ピエロはそれをここでも実現しているのだ。」最後に《モンテフェルトロの祭壇画》です。「建築の部分はまちがいなくピエロの筆である。《キリスト鞭打ち》とペルージャの『受胎告知』とが予告し、ピエロが晩年に身を捧げた透視図法の成果がここに見出される。私にはこの建物こそ、ピエロ芸術の頂点を示しているように思われる。~略~晩年のピエロを衰退したと評し、それを外部からの影響によって証拠立てようとする一群の人々がある。それに対しては、この作品こそ力強い返答となるだろう。ピエロはたしかに変化した。しかし晩年にいたるまで、強い意志と思考能力を維持しつつ変化したのである。」今回はここまでにします。