Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「深沢幸雄 市原市所蔵作品集」について
私が学生だった頃は、現代彫刻に加えて日本の現代版画も存在感を示していて、私もドイツ表現派の影響で素朴な木版画を試みていました。銅版画家池田満寿夫や木版画家棟方志功が大きな国際コンクールで賞に輝いたことや、緻密な技法を駆使した表現が日本人の気質に向いていることが、現代版画の水準を底上げしているように、当時から私は思っていました。そんな中に銅版画家深沢幸雄がいて、その精神性の強い独特な画風を、折に触れて私は鑑賞していました。彼が千葉県市原市に長く住んでいたことは、市原湖畔美術館に行くまで知らなかったのですが、そこに深沢幸雄記念室がありました。ギャラリーショップで「市原市所蔵作品集」を買い求め、その世界観を堪能しました。初期作品に見られる内面に蠢くものを凝視した世界はどんな契機で作られたものなのか、作品集の解説から拾ってみたいと思います。「『人間を知るためにダンテを読め、それも地獄篇がいい』という川路(柳虹)の言葉のままに深沢はダンテとともに裏切りや邪淫、貪欲などの罪で地獄に落ちた者たちのおぞましい世界へ分け入り、そしてそれらを形象化し版に刻むことに精魂を傾けていく。」とありましたが、やがて尋常とは言えない苦闘も行き詰ってしまうのです。その後に続くメキシコ滞在により、作風が変貌し、よく知られた深沢ワールドの充実した表現が生まれたようです。「1963年5月、深沢幸雄はメキシコに渡り、メキシコシティの尼僧院の修道所での講習会の後に各地の古代遺跡やインディオの村々を巡った。この時受けた強烈な印象から『俺は今迄日本でやってきたあの燻し銀のようなものへの憧れをすてなくちゃいけない。俺はマヤやアステカの連中がやったような、あの”いのち”の刻印、灼き印のようなもの、あれを表現の根底に据えなければいけない』という思いにとらわる。帰国後すぐにこのメキシコ体験は深沢作品に投影され、それまでのモノクロームによる小宇宙から、メキシコ古代遺跡の記号や図形をモチーフに色鮮やかで力強い形態の作品へとその作風を大きく変貌させる。」(引用は全て牧野研一郎著)先日出かけた市原湖畔美術館で開催されていた「メヒコの衝撃」展で見た深沢ワールドには、生命の息吹を象徴する形態で構成された世界が展示してありました。外的な刺激によって創作が大きく変わることの一例を見たように思いました。