Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「コマ割り絵画」について
昨日、埼玉県立近代美術館とうらわ美術館の2館で同時開催している「大・タイガー立石展」に行って来ました。タイガー立石はひとつの表現領域に拘らず、表現が推移していく中で、コマ割り絵画という連作を数多く作っていました。これは4コマ漫画の発想で、同じ画面にコマ取りをして、同じ情景が展開していく様子を見せるものでした。昨日は埼玉県での開催2日目に当たる日でしたが、平日にも関わらず鑑賞者が多くいて、コマ割り絵画を巡ってはあれこれ喋っている人を何人も見かけました。複数人数で会場を訪れたら、思わず口に出して意見を求めたくなる絵画がコマ割り絵画でした。一点の絵画作品を見るとき、その情景には直前の場面が潜在しており、また直後の場面もきっとあるはずと画家は思ったのでしょうか。時間の経緯を一つの画面に敢えて説明的に持ち込んでいく発想はどこからきたのか、画家は絵画制作の後で、漫画を作り、またその発想を絵画に応用したのがコマ割り絵画だろうと察しがつきました。ただし、これは現代アートとしては決して新しい表現ではなく、寧ろモダニズムの潮流の中では本流を踏み外した行為ではないかと私は考えます。あるいは絵画鑑賞で内容に深く分け入ることを拒み、全体を表層的に眺めることに力点を置くことが、タイガー立石の求めた絵画鑑賞の在り方なのかもしれません。「観光芸術」と画家が言ったのは、コマ割り絵画だけではなく、あらゆる大衆的流行を画面にコラージュし、芸術行為を総体的に眺めることに骨身を砕いた結果なのだろうと思います。画家の身を削る行為が散見されるのは、その下書きが綿密に描かれていたり、きちんと制作工程が日記として記録されていたことでした。イタリアに渡ってデザイン事務所で働いていた時の、課題制作を実践する上での徹夜と記載されていた日記に、私に付き添ってきた家内はぐっとくるものを感じていました。タイガー立石は家内にとっては大学の同じ専攻科の先輩にあたる人で、大学時代に課題提出に何回も徹夜した思い出が甦ったようです。コマ割り絵画も大学で学んだ舞台美術の書割に似た要素を感じていて、家内は私とは違った視点で「大・タイガー立石展」を見ていました。