Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「工部美術学校」のまとめ①
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「二章 工部美術学校」の前半部分をまとめます。この章では聖像画家山下りんが、西洋画の技法を学び、またキリスト教の洗礼を受けるまでの経緯が描かれています。言わば日本で最初の聖像画家誕生に関わる重要な部分です。前半を学校での美術教育について、後半をキリスト教徒になるまでの行程をまとめます。「政府が殖産興業を担う工部省を設け、外国人教師を盛んに雇って官営工場の運営を始めたのは明治三年だという。~略~工部省は自前の人材を育成するべく工学寮に工学校を設立し、土木に機械、電信、造家、化学及熔鋳、鉱山の六学科を設けた。そこに新たに加えられたのが画術と家屋装飾術、彫像術だ。伊太利(イタリア)から専門家が教師として招聘され、絵画と彫刻の技術者養成を目指す工部美術学校として開校された。」この新設の学校に山下りんは合格しましたが、学費が払えずに入学は諦めていました。そこに旧笠間藩の藩主から支援の申し出があったのでした。「我が家中の妹にかような才を持つ者がおったかと、殿は大層感心されてな。今の日本は近代国家建設の真最中である。欧米文物の知識と生産技術を学んで移植するは、なによりの急務じゃと仰せであった。~略~殿が学費を援助してくださることに相成った。」さて、愈々りんはイタリア人教師ホンタネジーの指導を受けることになりました。「『自身が摑んだ世界をいかに表現するか。誰に似る必要もありません。独自の追求こそが大切です。そのためには、己自身の目でしかと観察することです』わからない。『世界を摑む』とはどういうことなのか。『誰にも似なくていい』とは、つまり師匠の画風を受け継ごうとしなくてよいということか。『独自の追求』なんぞ、まったくお手上げだ。さっぱり解せない。『目の前にあるものを、あるがままに描写するがよろしい。己なりに真に迫りなさい。西洋人はそのために、透視画法や明暗画法といった技を編み出してきました。わたしはこれらを順に、諸君に伝授していきます。』」また風景写生に外に出た時にはこんな助言もしています。「『初心の者は、ただひたすら写さねばならない。それは画術の基礎です。しかし素描の修練を積んだ者は、目の前の風景を自ずと改変することになります。写生画とは、名所古跡、風景にかかわらず、観る者の目を驚かせ、その地に遊ぶ思いを起こさしむるものです。~略~それは、描く者が心情を投影しているからです。思想や願い、喜怒哀楽が籠められた絵こそ、人の心を動かします。我々が百年前の絵と対話することができるのも、絵に心があるからです。」私は高校生の頃、受験準備にデッサンの基礎を学びました。まさに西洋美術のノウハウを身につけたことになるんだなぁと思いました。江戸時代の絵師の修練とはまるで違う考え方に、りんはさぞ面食らったことでしょう。