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「工部美術学校」のまとめ②
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「二章 工部美術学校」の後半部分をまとめます。この章では聖像画家山下りんが、西洋画の技法を学び、またキリスト教の洗礼を受けるまでの経緯が描かれていて、後半ではりんが教会で洗礼を受けるところまでが描かれています。工部美術学校の教師ホンタネジーが母国に帰ることになり、また同期生の山室政子との交流が、りんの運命を変えていきます。「ホンタネジー先生の後任は十月に入ってまもなく教場に入ってきて、フィレッチという、やはり伊太利(イタリア)人だ。しかし得意げに披露した自筆の素描や油画を一瞥するや、唖然とした。言いようのない腕前だったのだ。さらに悪いことに人品も劣る。~略~腹に据えかねるのは、ホンタネジー先生が組んだ科目の進行をまったく守らないことだ。石膏素描をやらせるかと思えば人物写生の初歩に戻り、いわば思いつきの授業で、当人は学生の描いたものをろくに見もせず椅子で居眠りだ。講義もさっぱり要領を得ない。」ついに学生が立ち上がり、学校当局に更迭を要求したが、受け入れられなかったのでした。こうした学校事情とは別にりんの交友関係で大きなことがありました。山室政子がキリスト教信者だったのが判明したのでした。「『両親が信徒だったの。つまり、まだ耶蘇が禁じられていた頃ね。大変な苦労があったわ。親戚縁者から縁を切られ、近所から謗られ、忌み嫌われる。だから迂闊に口にできない癖がついていて、美術学校でも打ち明けられなかったのよ。用心するに越したことはない。~略~わたし、駿河台の教会の女学校に寄宿しているのよ。生徒は少ないけれど、神学校には男子学生がたくさん寄宿していてよ。で、わたしの絵の腕を教師様が見込んで美術学校に入れてくださったというわけ』りんと同様、政子にも授業料の面倒をみてくれている筋があろうことは想像に難くなかったが、まさか耶蘇の教会がと、とまどいが深まるばかりだ。」それから政子に導かれ、りんは教会に足を踏み入れたのでした。「正面の左右一杯に、簡素な彫りをほどこした白い壁がある。天井に近い部分は天蓋のように弧を描き、彫りの縁には金の筋が細く巡っている。その壁面には油画だ。西洋の油画が、目前にずらりと居並んでいる。背筋が震えた。『ご本尊様がこんなにも、たくさん』『セイゾウというの』背後で政子の声がした。『聖なる像。聖像を描いた絵は聖像画、ギリシャ語でイコン』」その日からりんは教会に通い始めたのでした。やがて洗礼を受けることになりました。りんは同期の神中糸子にこんなことを言っています。「聖なる歌を自らの声で唄う日が来るなんて、想像もしないことだった。でも一連の機密、正教では神の恵みを受ける儀式を機密と呼ぶのだけれど、機密が終わった時、本当に生まれ変わったような気がしたのよ。髪をほんの少しだけ切られて桶の水の中に入れられるの。それはわたしから主への、最初の献物だそうよ。~略~西洋画の女画工になると決めたの。駿河台に通えば、真の西洋に触れられる。教会は日本の中の西洋なのよ。本物の油画や文物、風儀に触れられる。」その後、りんは美術学校の助手として任命されるが、それを断り、学校を退学することにしたのでした。一方、政子が石版印刷業の男性と駆け落ちするエピソードもありました。教会の主教より呼び出されたりんに、こんな話が持ち上がりました。「『今日は至急の相談があって、お出ってもらった。お前さん、絵の勉強をしに行きなされ』美術学校を辞めたばかりだというのに、奇異なことを申される。『いずこの学校にござりますか』『ロシアの都さ。サンクトペテルブルグに行く、よろしい』」次の章は愈々りんのロシア留学の話題に入っていきます。