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「絵筆を持つ尼僧たち」のまとめ②
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「三章 絵筆を持つ尼僧たち」の後半部分をまとめます。ロシアの修道院に到着した山下りんでしたが、ここでの生活は大変な摩擦が生じる辛いものだったようです。まず到着から修道院での腕試しに関する部分です。「冷たく澄んだ空気にさらすように顎を上げ、ノヴォデーヴィチ女子修道院を見上げる。美しく青い壁だ。駿河台の教会とは雲泥の差といえる壮麗さだ。~略~初日だというのに工房の中の皆が固唾を呑んで、なりゆきに耳を澄ましているのがわかった。自信がないので拒んでいると思われるのも癪なような気がして椅子に坐り直した。机に向かい、木炭を持つ。~略~腕前を侮られるのは、いやだ。瞬く間に形を取った。~略~凄い腕の持ち主だったのですね。描くのも速いわ。とんでもない日本人ですよ。そんなふうに言っているような気がした。」工房では聖像画の模写が行なわれていましたが、早くもりんは退屈な作業に嫌気が差していました。そんな中でエルミタージョに行ける機会がありました。「中に足を踏み入れれば壁に高く大きな画が掲げられ、ずらりと並ぶ彫刻、白い石像に驚き入った。階段の上ではヨルダン先生が待っていて、今日も薄い銀髪を綺麗に撫でつけて三ッ揃いの洋装だ。案内された二階は焦がれてやまなかった絵画で埋め尽くされていた。先生の説明で、伊太利の画だということがわかった。『ルネサンス』そんな言葉も聞こえたが、伊太利の画家の名前だろうか。わからない。けれど命の輝くような、深くのびやかな世界を夢中で巡った。」修道院に帰ると拙い画の模写で、りんの心は辟易していました。「『あなた方はなぜ芸術性をないがしろにするのです。わざわざ人間のぬくもりを消し去って、こんな陰鬱な稚拙な画をロシアじゅうにばらまくのですか。信徒の皆さんは有難がってくれるのですか』他のことなら堪えもしよう。けれどこと画業については我を折ることなどできない。遥々と、あんな船旅をも耐え抜いてこの地に来たのは良師を求めてのこと、西欧画の修業をするためだ。~略~『なぜあなた方はこんな浅ましい、稚い画を描けと強いるのですか』『イリナ(りん)、何度言えばわかる。これが聖像画の正統なるギリシャ様式です。決まり通りに描きなさい』『決まり、決まり、決まり。描き手の感ずる心をないがしろにして、手本通り、様式に従えと求められる。承服しかねます。まったく理不尽です』反省すれども、いざとなれば激しくやり合い、後で言い過ぎたと悔やむ。それを繰り返している。判で捺すかのような工房仕事を命じられると、どうしても抑えがきかないのだ。~略~『あなたの腕では、わたくしを指導できません』『愚弄するのですか』噛みつくような目をした。りんは怯まず、足を踏み鳴らす。『エルミタージョ通いをこうも嫌うのは、わたくしがあなたを師として尊ばぬからでしょう。博物館の絵画を模写されたのでは、己の画才のほどが露見するからです。でもわたくしはとうにあなたの正体を知っています。しょせんは素人ではありませんか』フェオファニヤ姉はしばらく啞然として見下ろし、そしてりんの鼻先に人指し指を突き立てるようにしてわめいた。『あなたなんぞ、もう消えてしまうがよろしい』」結局、精神的な面もあって、りんは5年の滞在を2年半で打ち切って帰国することになりました。「『修業半ばのことで当人はもとより、わたくしたちも残念でなりませんが、皆さんも知っての通り、イリナ(りん)の体調が優れません。よって、暖かい母国で養生することになりました。』」3月上旬のことでした。