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「分かれ道」のまとめ②
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「四章 分かれ道」の後半部分をまとめます。自らの信仰に疑問を持っていた山下りんは、駿河台の教会を離れることを主教に伝えました。りんが聖像画家になるためにロシア留学の準備までしてくれた正教会に申し訳が立たない気持ちを振り切って、岡村竹四郎と政子夫妻の営む石版画印刷所で版下を描く仕事に就くことにしました。りんの兄も銅版画印刷所に勤めており、さまざまなところでりんの描く画が求められていたのでした。「こうして信陽堂に通ううち、画工らに請われて西洋画法を教えることも増えた。休憩時間に誰かをモデルにして一緒に鉛筆を動かしながら、画板を覗いて気がついたことを指導する。『頬の筋肉のつき方をもっとよく見て。骨格も歪んでいますよ』工部美術学校でもわずかな期間だが助手に任じられていたので教えるのは初めてではないが、今ほど確信を持って話すことはできなかった。」そんな折、教会に背中を向けたりんに主教が聖堂建設に苦心している様子が伝えられ、りんの心が揺さぶられることがありました。「主教が途方もなく孤独に思えてならない。その姿を思い泛べれば、胸の中が波立つ。~略~教団は、ただ一人の聖像画家を失った。主教が受け容れた事実が、頭の中をぐるぐると回っている。~略~主教様が背負っておられる重荷は、誰が分かち合っているのだろう。主教様はお勁いから、お独りでも大丈夫なのか。神がいてくださるから。でもずっと、休んでおられないのではないか。心の休息は一日たりともないのではないか。我知らず右手の指をつぼめ、十字を切っていた。主よ。どうか、あの方をお守りください。~略~信仰心がなくても、聖像画は描けるだろうか。~略~それは許されないだろうか。わたしが主教様のお役に立つことはできないだろうか。せめて、この手に握る筆で。」りんは兄と共に教会の主教をもう一度訪ねることにしました。これは兄が妹のために主教に許しを請うた言葉です。「不埒な願いであるとは、手前も重々承知しております。ですが、妹は聖像画師として生きたいと申してききませぬ。おなごでありながら画業のことしか考えられぬ一徹者、石より硬い頑固者ゆえ、思い留まらせることなどできんのです。どうか、教会に戻してやってくださいませぬか。」りんにとってはまず信仰ありきではなく、画業ありきの信仰だったのではないかと私は思いました。我が師匠の池田宗弘先生を見ていると、芸術家にはありがちな神への信奉なのかもしれません。