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「名も無き者は」のまとめ①
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「五章 名も無き者は」の前半部分をまとめます。聖像画家として日本各地に建てられつつあった正教会のために、山下りんは注文に応える日々を過ごしていました。亡きプウチャーチン伯爵の令嬢オリガが来日していて、りんと旧交を温めていました。そんな折、工房や寄宿舎を併設した神学校が火事になりました。「やけに騒がしいような気がして、首に襟巻を巻きつつ襖に手をかけた。すると荒い音を立てて襖が動き、上級生の一人が叫んでよこした。『火事です、燃えています』すぐさま部屋を出た。廊下の向こうで、看護婦に伴われたオリガ姉が出てくるのが見える。ロシア語で『火事』と伝えると、頬を強張らせながらもしっかりうなづく。~略~火事のあったその日のうちに、オリガ姉が主教に助力を申し出てくれたらしい。本国の知友に電報を打って義援金を募り、自身も寄進して、ほどなく数千円という大金を用意してくれた。」学校は全て焼け落ち、新しい校舎が建ちましたが、りんの集めた海外の聖像画は失われてしまいました。オリガが帰国する際に、りんとこんなやり取りがありました。「『わたくしも日本を忘れません』とオリガ姉は微笑み、『あなたに、これを』と布包みを渡された。包みを開けば、厚い額に納まった聖像画だ。掌ほどに小さいが重い。板画だ。『我が家に古くから伝わるものです』聖像画は有難い。手持ちのものは焼失したので、模写の手本に事欠いている。そう礼を述べねばと思うのに困惑して、口ごもってしまった。表情に乏しく、ぺったりと平板な聖母子像だ。修道院の工房でかくも悩ませられ、自らも嫌悪してきたあのギリシャの黒い画。主教の部屋や伝道館の壁にも小品の何点かは掲げられているが、もう気にならなくなっていた。伊太利画の流麗な線や鮮やかな色が圧倒的で、おどろおどろしい黒画は翳に沈んでいたのだ。~略~『聖書の物語を題材にしていても、それが聖なる画だとは限りません。ルネサンスの伊太利画を無闇に追うと信仰から遠ざかります。ルネサンスは人間性を謳歌する芸術至上主義。大変に魅力的です。でもわたくしは信仰者として懐疑します。聖像画は芸術であってはなりません』」そのうち主教が大変な依頼を持って、りんのところにやってきました。「『イリナ、大切な仕事』やはりそうかと、茶碗を机に戻した。『いずこの教会ですか』いかほど忙しい目をしても、教会や会堂が増えるのは嬉しい。甲斐もある。『いいや、此度は教会用ではねえ。奉呈する聖像画、用意してほしい』戸惑って、『どなたに奉呈なさるのですか』と訊き返した。『ロシア皇太子ニコライ殿下と、ギリシャ親王ゲオルギオス殿下にさし上げるのす。わたしからではねぐ、日本正教会の全信徒から、来日記念お贈りする』~略~『もちろん、イリナが描かねば』と、主教は茶を飲みながら安気な声だ。『日本人が制作する、それが大事。そして日本人の聖像画師、お前さん、ただ一人だ』」今回はここまでにします。