Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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週末 横須賀の古民家ライヴへ
週末になりました。今週も新作の陶彫制作に明け暮れていましたが、昨日は久しぶりに美術館へも足を運びました。新型コロナウイルス感染症のオミクロン株が爆発的な感染力を見せている中、昨日は意を決して東京に出かけていきましたが、今日は横須賀に行きました。陶彫制作は昨日、今日、明日と休む予定でいます。陶彫部品は不足分の4点が全て成形、彫り込み加飾が終わっていて、乾燥棚に置いてあります。乾燥が進み次第、仕上げと化粧掛けを施し、窯入れをしていきます。窯は後3回は焚かなければならず、勿論予断を許さない状況ですが、私はやるべきことは全てやったつもりになっていて、天命を待つ状態です。陶にはありがちな他力本願です。さて、今日は家内の従兄弟にあたる人が昔から弾き語りをやっていて、いろいろなライヴハウスに出演しています。横須賀中央駅は久しぶりにやって来ました。駅近くにある古民家で彼がライヴをやるというので、楽しみにしていました。古民家に入るとその2階の畳の部屋がライヴ会場になっていました。雑多に置かれた日用品、コントラバス、ギター、アフリカの民族楽器などがあり、その混沌とした中で演奏が始まりました。彼の他に2名の男性アーティスト。日用品を叩く音、そのうちそれがテンポになって音楽が生まれ、さまざまな楽器が登場し、時に旋律らしいものが出てきたり、またパーカッションだけに戻ったりする演奏が続きました。彼はギターと英語によって心地よい背景を醸し出す音楽を作り出し、他の2人のテンポに上手く合わせていました。私は音が音楽に変わる瞬間を感じ取り、その曖昧な世界に興味が湧きました。途中で窓を開けると町の騒音も入ってきました。サイレンも聞こえました。騒音または雑音は耳障りであるはずが、何かの拍子に音楽になる時があり、その錯覚が、感じ方を変えれば実は楽しいのではないかと思うこともありました。今日は3回の演奏があるようですが、3回とも即興で何一つ同じ演奏がないとも彼らは言っていました。まさに現代アートのようで、偶然に立ち上がり、即座に消えていく世界が、説明の出来ない静かな感動を齎せてくれました。