Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

竹橋の「民藝の100年」展
先日、東京竹橋にある東京国立近代美術館で開催されている「民藝の100年」展に行ってきました。私が民藝運動を知ったのは20代の頃で、棟方志功の板画や濱田庄司の陶芸に興味を持ったのが始まりでした。その後、京都の河井寛次郎の陶芸や静岡の芹沢銈介の染色を知り、提唱者である柳宗悦を知ったのはさらにその後となってしまいました。今も東京駒場の日本民藝館には度々訪れて、建物の造りと展示の面白さを堪能しています。地方に伝わる工芸品の数々には斬新なデザインがあって、その美観に心が打たれることがありました。今回は美術館でのまとまった展示が企画されて、その空間で見る民藝はどんな感じになるのだろうと思っていました。どこで見ても意匠の楽しさは変わらず、改めて収集された工芸品の魅力に魅了されました。図録から気になった文章を引用いたします。「民藝運動とは、つまり近代という社会的・文化的な文脈の中で、その経糸・緯糸が紡がれ、形づくられた織物なのである。しかし振り返れば、これまで民藝に関わる美術館での展覧会は、柳宗悦という個人の『眼』や『思想』を中心に語られ、構成されてきたものがほとんどであったといえるだろう。」柳は工芸の性格上、官設の近代美術館での展示には向かないと思っていたようでした。「『東京』『国立』『近代』『美術』館は、柳が目指すものの反語として、名指しされているのだ。そうであるならば、このたびの展覧会で『近代』美術館ができることは、『近代』の景色のなかに『民藝樹』がどのように生長したのかを立ち上がらせることではないだろうか。」また日本の民藝がヨーロッパの民藝との共通した美観を持っていたことの発見もありました。「反復と労働の導き(『他力』)によって、恩寵のように美がもたらされると柳は考え、中世ギルドの世界をひとつの理想として掲げていた。土着的でありながら普遍的なもの、という考えは柳とタウト(ブルーノ)の間の偶然の相似のように、この時期に共有されたアイデアでもあったのである。~略~ひとつとして同じものはないが、全体として近似した韻律があり、その土地固有でありながら、普遍的なものに出会うたび、彼らはその『神秘』に異様な興奮を覚えている。個人作家の新作のスリップウェアと地方窯の雑器が並び立つ空間は、彼らが初めて提示した理想のモデル・ルームであった。」(引用は全て花井久穂著)