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「ヴァーチャルな素顔とリアルな仮面」のまとめ
「仮面ーそのパワーとメッセージ」(佐原真監修 勝又洋子編 里文出版)の「ヴァーチャルな素顔とリアルな仮面」をまとめます。「地中海に浮かぶ島国マルタ共和国には、エジプトのピラミッドやウルのジッグラト、イギリスのストーンヘンジよりも古い幾つかの巨石遺跡があって、数々の母神像が出土している。ところが、それらには大半が顔というか、頚というか、要するに頭部がない。~略~この地の母神像は頭部とそれを差し込む穴をもつ胴体とが各々別個に造られたのだが、遺跡からは胴体のみ出土して頭部は出土しなかったのである。~略~先史マルタ人は頭部よりも胴体に神の特徴を刻んだのであろう。妊婦らしく象ったもの、乳房や臀部を肥大化させたものが目につく。」やがてギリシャ・ローマの人々がやってくると仮面が登場するようです。「先史でもごくごく黎明の時期には、仮面は必要なかった。仮面は幾分とも身体と精神の乖離すなわち神と人との乖離が意識されるようになった頃に、その乖離を補正するために生まれたものである。顔が、その表情が身体の様々な有り様ー原初の素顔ーを自然に表現できなくなったとき、仮面は原初の素顔を象って登場してきた。仮面は、ある時は人の善なる側面を表現し、またある時は人の邪悪な側面を象徴した。そればかりか、仮面は、ときには神それ自身となって人々に崇拝されたのである。諸民族のもとに見いだされる、いかにも原始的な造りの仮面であっても、それは、みずからが素顔のままで神に一致し神に成り切ることのできない程度に文明を知ってしまった人々の創作なのである。」つまり、仮面の登場を簡略するとこんな感じになります。「仮面とは、儀礼=信仰=日常は幾分とも演技=芸術=非日常となりだした時点で登場したのである。」今回のタイトルになっている箇所を引用いたします。「相手に応じて様々な仮面をとっかえひっかえ被らなくても、人はすでにして様々な表情を備えている。問題は、そうした表情を自然のままにまかせるか、人為のコントロールに従わせるか、ということである。前者は霊肉合一、神人合一の生活を維持する先史マルタ人の文化に相応しく、後者は霊=男による肉=女の支配を生活原理とする文明期ギリシャ人の文化に相応しい。~略~『近代人』には、仮面はリアルであるが、素顔はヴァーチャルなのである。反対に、先史人には顔だけで意味を表象する仮面は未知か不慣れで、身体としての素顔、いや、身体と区別されない素顔こそリアルなのである。」(引用は全て石塚正英著)