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「翁面と『芸能仮面』の発生について」のまとめ
「九州の民俗仮面」(高見剛 写真・高見乾司 文 鉱脈社)の「翁面と『芸能仮面』の発生について」をまとめます。ここでは仮面の中で重要な存在である翁面が登場してきます。まず、芸能仮面についての考察を拾い上げます。「芸能史における大きな変革期は中世である、という見方は、大方の研究者の間では一般的なものとなっている。『中世』とは、源頼朝の平家打倒によって武家政権が確立した鎌倉時代から南北朝を挟んで室町時代に至るまでの約四百年間をさす。中世前期すなわち鎌倉期は古代芸能の継承期であり、南北朝の動乱期に至って中世本来の芸能が確立し全国に普及・分布する。中世後期すなわち室町時代には能の完成にみられるように大きな変革がある。室町期の完成した芸能形態は、戦国期を経て近世以降の芸能へつよい影響を与えながら展開してゆく。~略~仮面史には、縄文時代の土面の消失から飛鳥・奈良朝以降の木彫仮面の登場まで、大雑把にみて千数百年(厳密には数百年か?)の断絶期があるが、その現時点では説明のつかない断絶期のことを棚上げして考えてみると、仏像彫刻や伎楽・舞楽などの渡来系の宗教・芸能と、山岳信仰や山の神祭り・田の神祭りなど列島基層の信仰・祭りが混交し、独自の仮面芸能が発生した時代が平安から鎌倉に至る時代ということになろう。」ここで前に私が取り上げた追儺式について著者から訂正の箇所がありましたので、そのまま引用します。「以前私は、鹿児島県隼人町の鹿児島神宮の正月行事、追儺式の中に隼人舞が伝わっていると方々に書いた。ところが、以後の取材で、それは誤りであるということが判明したので報告方々、訂正する次第である。」民俗学や史学研究には平時付き纏うことだろうと私は理解しました。さて、漸く翁面が登場します。「中世芸能を代表する猿楽の本芸は翁舞であるという。翁舞は~略~平安中期から鎌倉ごろにかけて、社寺の神事や法会に付属して上演されていたことが推察される。その担い手とは、咒師、猿楽者などと呼ばれた芸能職で、猿楽者が翁面を宿神として祀ったという事例も認められる。」とありました。また翁面には黒い仮面と白い仮面があって、その論考にも私は興味を持ちました。「これらの、一連の黒い翁をめぐる考察から導き出されるイメージは、『里の神(白い翁)に対する山の神(黒い翁)』、『国家を樹立した民族の祖神(白い翁)に対する制圧された先住民族の霊(黒い翁)』、『権力者の象徴(白い翁)に対する被差別民の象徴(黒い翁)』などである。」今回はここまでにします。