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「第一次世界大戦下の活動」のまとめ②
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)の「第六章 第一次世界大戦下の活動」の後半部分をまとめます。ここではデザイン教育について取り上げています。「女性メンバーに共通する明るさ、軽快さ、優美さを伴う装飾的作風の原点には、クンストゲヴェルベシューレにおけるホフマンとフランツ・チゼックのデザイン教育があったと考えられる。~略~クラスの特性は、ホフマンの建築教育思想に基づいていた。ホフマンにとり、室内空間に関わる応用芸術は、建築家が学ぶべき領域のひとつであった。建築家は技術的な必要条件のみならず、洗練された趣味や環境と現象のリズムに対する感覚を表現すべきであり、それゆえ現代の建築学校はさまざまな応用芸術の分野から切り離されてはならないというのが、ホフマンの主張であった。~略~『装飾形態学』の授業は、『感覚のリズム化の訓練』を主軸とした。チゼックは、装飾は個人の内面のリズムと法則を表現する必要があるとの考えから、授業では生徒たちの感性を表出させることを重視した。クンストゲヴェルベシューレでの彼の教育活動は、第一次世界大戦を境に二つの時期に区分される。前半期の1910年代の教育の特徴は、自然のモティーフの装飾的転換であった。チゼックは自然模倣に偏重した芸術に批判的であり、生徒たちに、身近な単純な模写ではなく象徴化が可能となり、その後、生徒たちが想像力による単純化や変形を繰り返すことで新たな装飾が生まれるとされた。」このような教授たちによって教育された女性デザイナーは、戦時中もウィーン工房を支え、オーストリア国家もその活動に協力をする存在になっていったのでした。「第一次世界大戦末期、国家宣伝材料となった工芸品の『オーストリアらしさ』の基盤を形成したのは、ホフマンの新古典主義、ペッヒェのネオ・バロックのデザインに加え、女性たちの柔軟かつ直観的な装飾感覚であったといえる。『国家的』とされたデザインは、彼女たちの創作の源泉となったバロック、ロココ、ビーダーマイヤー、および自然表現や同時代の前衛芸術の要素が混在しており、一元的なナショナリズムとは程遠いものであった。」今回はここまでにします。