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「岡倉天心の芸術思想」のまとめ②
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の第一部「美学と美術史」のうち「1 岡倉天心の芸術思想」について、後半部分をまとめます。明治15年に美術における開花主義と伝統主義の最初の衝突がありました。それは当時洋画界の重鎮であった小山正太郎と岡倉天心の当初は書道を巡る論争で、そこから転じて美術の本質を捉えようとした天心による見解の根本を問うものでした。「工部美術学校の流れを汲む小山が、『美術の利益を一般の工芸に比し』て論じた功利主義的主張に反発して、天心はこれを『利欲の開花主義』であると論じ、『道徳の心を損じ、風雅の情を破り、人身をして唯一箇の射利器機たらしむ』ものだと非難したのである。いうまでもなくこの論争は、先に述べたフェノロサの『美術真説』によって提起された問題の延長戦上にある。」とはいえ、天心は西洋画を認めなかったわけではなさそうです。「天心は西洋画を頑迷な国粋主義者のようにやみくもに排除しようとしたのではなく、その優れた点は大いに参考にし、これを取り入れることによって新たな芸術創造のための糧にすべきことを説いているのである。」実際、美術学校設立に際して、天心は取調委員としてヨーロッパに渡り、多くの美術館を実見し、ヨーロッパの美術界の動向についても最新の情報を得ていたようです。「天心の物質主義対精神主義という文明観は、確かに西洋対日本、さらに西洋対東洋という形で、西欧から押し寄せた文明開化の波に呑み込まれようとしていた伝統的文化についての危機感と、勃興しつつあった国家主義的意識によって増幅されているとはいうものの、この天心の思想は、より普遍的な近代文明批判という観点に立った、国際的な視野の広がりを持つものであったと言うことができるのではなかろうか。」次の単元は日本における美学の形成を扱っていて、日本美の再発見に纏わる論考が展開していきます。今回はここまでにします。