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「浪漫主義と日本」のまとめ②
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の「第二部 芸術論の展開」の「3 浪漫主義と日本」を前後半に分けてまとめます。今回はその後半部分ですが、日本浪漫派と称される人たちの考え方を中心に据えています。「ロマン主義をめぐる論議で、岡倉天心に次ぐロマン主義の日本的変容というべきものが、昭和十年三月にその機関誌を創刊した、『コギト』の同人、保田與重郎、神保光太郎、亀井勝一郎らによる『日本浪漫派』の運動ではないだろうか。~略~彼らの理論は、そこから学んだドイツ・ロマン派の思想を日本的精神の風土に移植し、これをもって『前代未だ知らざる切迫の極点に形成され、而して未だ多く常に先代の糟粕を嘗めて去就に迷う』、文学を志す青年たちの新たな指標としようとしたものである。」その中にこんな文章がありました。「日本浪漫派は、今日僕らの『時代青春』の歌である。僕ら専ら青春の歌の高き調べ以外を拒み、昨日の習俗を案ぜず、明日の真諦をめざして滞らぬ。わが時代の青春!この浪漫的なものの今日の充満を心情に於て捉え得るものの友情である。芸術人の天賦を真に意識し、現状反抗を強いられし者の集いである。日本浪漫派はここに自体が一つのイロニーである。」あたかも青春賛歌のような気炎のある展開が想像されますが、迫る時代の風潮によって日本浪漫派は、そもそもマルクス主義からの転向やプロレタリア文学の挫折から生じたものなので、ファシズムへ傾倒していくことになりました。「問題はこうしたドイツ・ロマン主義美学によって理論武装した『日本浪漫派』が、その後次第に対外戦争が激化していくなかで、その多くがファシズムと一体化した、いわゆる『日本主義』イデオロギーへとのめり込んでいったことである。同じくロマン主義が国策に利用されるという、やりきれない事態が、ちょうど合わせ鏡のように、本家本元の同盟国ドイツにも出来している。時代と国境を越えてしばしば発生するこの現象は、もともと民族主義に根ざしたロマン主義の宿痾のようなものである。」今回はここまでにします。