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「壁を跳ね返せ」について
「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は2番目の「壁を跳ね返せ」について、留意した台詞を取り上げます。「絵画と彫刻のあいだに横たわる根本的な違いは、彫刻の場合、我々が生きているこの世界にいままで存在していなかったものを持ち込むことで、瞬く間に世界を変化させてしまうということだ。なにかを再現するというよりも、むしろ変える能力こそが、彫刻というものを傑出した芸術にしているのは間違いない。絵画が壁に依存しているのに対して、彫刻は、この世界に対して、一旦脇へ避けて場所を譲ることを要求する。絵画はその長い歴史において、もうひとつの世界へと向けられた窓であり、従って描かれる対象に依存してきた。」(A・ゴームリー)「ひとりの芸術家が、この絵画対彫刻の論争について自身の見解を記録に残しています。レオナルド・ダ・ヴィンチです。形態と量感、とくに人体のそれを理解することが重要だと強調するフィレンツェの伝統に抗して、彼は絵画こそが至高の芸術なのだと主張します。あまねく宇宙を、そしてそれが内包するあらゆるものを描けるから、と。もうおわかりでしょうがミケランジェロはそれには同意しません。」(M・ゲイフォード)「それならばもちろん僕はミケランジェロの側につく。絵画とはいつも二次的なものだ。それに対して彫刻はある種の空間の置き換えだ。それがうまく機能する場合には、自分自身が自分のからだに宿ることも含めて、あらゆるものの再検討を要請するものだ。それゆえに、変容をもたらす媒介ーそれが芸術のあるべき姿だとすればーとしての彫刻の可能性は、絵画のそれよりもはるかに大きい。」(A・ゴームリー)「空間をどう表すかとなると画家というのは本当に夢中になりますけれど、ジャコメッティは彫刻によってつくり出した空間を、私たちの暮らす現実の空間に関連づけようとします。~略~彼は人間のもろさというものを痛切に意識していました。たしかに私たちはいくつかの媒介変数の、ごく狭い範囲のうちに存在するほかはありません。気温や気圧の数値がほんのわずかに上下するだけで、私たちは大問題です。」(M・ゲイフォード)「見るということを可能にするだけの隔たりを、どうにかして認識しようという努力が、彼の彫刻を2本の指のあいだに隠れてしまうほどに縮めてしまった。彼がやっているのは空間を彫刻する試みであり、その結果として空間がどのように物体に作用するかという試みである。彼の人物像は作品のモデルについての探求などではなく、モデルと彼を隔てる空間についての探求なんだ。」(A・ゴームリー)絵画対彫刻の比較検討から空間認識に至るまでの対話を、時代に関係なくピックアップしました。今回はここまでにします。