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「収集と選択」について
「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は16番目の「収集と選択」について、留意した台詞を取り上げます。「ヨーロッパでは啓蒙思想の時代になって、人々は意識の向かう対象を分類し、収集し、そして展示するようになった。つまり眼に見える世界を構成する動物、植物、そして鉱物などがコンテンツになったんだ。こうした標本の配置ー『好奇心の柵』として知られるーがされることで、そこから自然人類学、解剖学、地質学、天文学、地理学、そして僕ら人類の進化についての理解が生まれた。」(A・ゴームリー)「20世紀後期から21世紀初頭にかけて、相当な数の芸術作品が、このようにすでに世界にあるものからなにかを選びとる、という営みに依拠してきました。つまり『取得物』と呼ばれる方法です。芸術家たちはこれを、かつてはもっぱら科学標本や古典古代の遺物に用いられていた手法にしたがって、陳列しました。」(M・ゲイフォード)現代に通じるアートになる過程で大きな価値転換が行なわれた事件がありました。「20世紀のはじめに、この収集と展示の対象となるものの範囲を根本から拡大するという、知の一大跳躍を成し遂げたのがマルセル・デュシャンでした。そのとき『既製品』ーありふれた日用の工業製品である雪かきシャベルや小便器、自転車の車輪などーを選び出した彼は、それらを芸術作品とし、つまり自作の芸術作品と定義しなおし、そのまま『レディメイド』と名付けました。このときデュシャンの打った手の極意というのは、事物をこの世界の一般的な時間と交換の流れから引き上げて、ギャラリーといういわば建築のかたちをした額縁のなかに持ち込み、さらにはガラスのケースのなかに展示してしまうことです。」(M・ゲイフォード)「芸術とは、大理石の塊から不要なものを取り除いて理想化された物体として磨きをかけることではなく、作者の選択のことである、と。デュシャンが持ち出したのはそういう命題だった。たしかに、美術館の登場とそれに伴う美術のカテゴリー化や制度化から切り離して、デュシャンと彼の考えた策略について考えることはできないね。~略~芸術作品としてのあり方が、作品そのものの主題になった。言い換えれば『美術作品とはなんなのか?』という問いはより難解なものとなり、その答えに当てはまりそうなものの範囲が一気に広がったということなんだ。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。