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栖鳳の「班猫」について
先日、東京渋谷にある山種美術館で開催中の「竹内栖鳳展」に行って来ました。展覧会の目玉は猫を描いた「班猫」で、展覧会のポスターにもなっていました。「班猫」は背景がなく猫の肢体だけを描いていて、しかも鑑賞者を見つめる青い目が印象的な絵でした。このモデルになった猫に纏わるエピソードが図録に載っていました。「初秋の午後、わたしは沼津の町を歩いていた。八百屋の前を通りかかった。するとその八百屋の前に置かれた荷車の上にあの猫が寝ていた。吾々は年中方々で猫は見ているが、あの猫はわたしの画材となるには恰好の猫だった。つまり、わたしは、あの猫をその荷車の上で見た瞬間、わたしの表現欲はムラムラと胸に湧いて来たのである。~略~ともかくわたしはその場に踏ン立ってスケッチを始めた。そして宿へ帰った。だがどうしてもその猫を諦めることができなかった。街上に踏ン立っての写生位では、核心までその猫が摑めていないように思われて残念だった。~略~それでわたしは宿の人に頼んで、その猫を買い取る交渉を始めた。~略~再三交渉を重ねた結果、わたしの人物を説明して、一枚の絵と猫とを交換して貰った。そして沼津から京都へ連れ帰り、日夜座右に遊歩させて、あの作品を造った。むろんその猫はもうわたしの家にはいない。あの作品を仕上げると間もなく、わたしは東京に出た。その不在中、猫の行方は不明になってしまった。」猫は従順な犬とは違い、何にも束縛されず自由気儘に生きていると私は思っています。猫は飼い主の存在に一応気を留めているのでしょうが、その距離感が微妙です。そこが芸術家に好かれる所以かもしれません。我が家にもトラ吉と名付けている元野良猫がいます。トラ吉を飼って10年以上が過ぎ、家には猫用の部屋があり、トイレも食事も睡眠もその部屋で済ませています。朝は部屋から出てきて、私のところに挨拶にやって来ます。撫でてやると安心するらしく、その後はマイペースで気儘に過ごしています。栖鳳の「班猫」を見ていると、その仕草はトラ吉のようでもあり、その上目使いは猫特有の雰囲気を醸し出しています。その場のスケッチだけでは猫の生態を核心まで摑め切れなかったという栖鳳の気持ちがよく伝わってきました。