Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「18世紀イギリスの庭と館」と「フランシスコ・デ・ゴヤ」について
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「まがいものの美学」で18世紀イギリスの庭と館について論考です。もうひとつは「溢れでる夜の証言」でフランシスコ・デ・ゴヤについての論考です。まずイギリス庭園についての考察です。「イギリスの庭園は、地方の貴族や郷土の地所のなかに作られたが、1600年代にはまだそのほとんどがイタリア風あるいはフランス風と呼ばれる古典主義の整形式庭園だった。これは、邸宅の前面を四角く塀で囲み、その内部に左右対称の花壇、円形の泉水、まっすぐの並木道、放射状の小道を配する幾何学的な庭園である。~略~実際にストウの庭園のなかを歩いてみると、ラテン的な面に遭遇して驚かされる。ギリシャ・ローマの神殿やイタリア・ルネサンスの建造物を模倣したまがいものがそこここに堂々と建っているのだ。それには、18世紀イギリスの政治的、美的の二つの事情が影響している。政治的な面では、地中海世界を制覇し、イギリスやヨーロッパの内陸まで領土を広げた古代ローマ帝国へのコンプレックスまじりの対抗心があげられる。当時のイギリスは、フランスとの植民地争奪戦にことごとく勝利し、また探検家の貢献もあって、その支配圏を地球規模に拡大しつつあったが、そこには古代ローマを凌ぐ史上最大の帝国になりたいとの政治的な野心が働いていた。」次にゴヤについての論考です。「ゴヤは、1792年、46歳のときに大病をわずらって聴覚を完全に失ったということである。誤解を恐れずに言えば、生まれついて聴覚を喪失しているのと、長年正常な聴覚を経験したのちにこれを喪失するのとでは、後者の方がはるかに強く精神を不安定にする。音のない真空状態に転落したゴヤは、ことあるごとにその落差と絶望的な閉塞状況を意識して、気も狂わんばかりになっただろう。そしてその混乱は、彼の意識の底に住みついて、夜見る夢を悪夢へ変貌させたにちがいない。~略~ともかくゴヤは、レンブラントの光の美学を逆転させて、闇がそれ自体で存在感を放つように描いたのである。ゴヤに至るまで西洋絵画において闇は光の引き立て役に過ぎなかった。夜の狂的な力を昼の覚醒時にも体験し、なおかつ外界の戦時の光景のなかにも見出していったゴヤは、夜こそが、黒こそが、万物の底辺であり母体であると思いなしていった。叫びや歌を大声で発しながら蛇行してくる夜明けの巡礼者たちも、あらん限り大きく目を見開く夜宴の女たちも、夜によって生みだされ動かされている生き物なのである。」黒を基調とするゴヤの独特な世界観を、20代の頃に私はオリジナルを見て、心を動かされました。スペインには僅かばかりの滞在でしたが、当時私が住んでいた中欧とは違う光線があって、今も印象に残っています。