Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「青春のピカソと最期のセザンヌ」と「カンディンスキーとロシア革命」について
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「夜が太陽になるとき」と題された単元で、青春のピカソと最期のセザンヌのことが論じられています。ふたつ目は「解き放たれる幾何学の生」と題されたカンディンスキーとロシア革命のことが書かれていました。まずピカソから。「自分を取り巻く近代の悪霊に抗い、それを祓いのけてゆかねばならない。トロカデロ博物館の黒人芸術から悪魔祓いの精神を学んだ25歳のピカソは、そこにさらにニーチェが語った反キリスト教文明、反近代文明の意志を、つまり力強き生命への意志をもりこんで、《アヴィニョンの娘たち》の制作へ向った。~略~黒人芸術の仮面を悪魔祓いと見抜いた点は正しい。だが未開民族の仮面は、悪魔祓いと同時に交霊という要素も持っているのである。矛盾したことに、彼らは、祓いのけたいと思っているその霊と交わりたいとも思っているのだ。顔を醜いほどに解体させて未知の恐ろしい霊と同じ次元に立ち、そうして彼我の違いなく交じりあいたいと彼らは欲している。これは、アフリカの黒人だけでなく古代ケルト人など自然崇拝の民族に共通して見出せる傾向だ。ともかく黒人芸術の仮面においては、霊を祓いのけ自分を守りたいというせっぱつまった生存への意志と、自分を捨ててその霊とぜひとも融合したいという霊に開かれた自己消滅への意思が交錯している。」次にセザンヌ。「『夜はまた太陽でもある』とニーチェは語ったが(『ツァラトゥストラ』第4部『酔歌』第10節)、最晩年のセザンヌはこの境地へ達していた。夜の感情は、自分では描ききれぬほど豊かな生命世界に接していることの証しなのだ。そう思える境地へ最後のセザンヌは達していた。」さらにカンディンスキー。「カンディンスキーは『点、線、面』(1926年)などの理論書で、直線には無限の運動可能性が、点には小世界が、円には宇宙的な無限の可能性があると説いているが、これは彼が聞き取った幾何学図形の多様な声のほんの一部にすぎない。それに、たとえこのような限定された意図でのみ図形たちが描かれたとしても、すぐれた芸術作品は作者の意図を超え出る力を放っているものなのだ。~略~1918年以来、彼は革命政権から文化行政の要職を次々にまかされたが、地方に22の美術館を開設していくときにも、自分の美意識とは相容れない流派の作品にその価値を認めて館内を多様性の沃野とした。~略~だがロシアの祝祭の時代は長くは続かなかった。1920年代に入ると、革命政権は、経済難、さらに他国からの干渉戦争に対処すべく、生産性の重視と思想の統制を鮮明に打ち出してゆくようになる。その影響は文化行政の分野にも及んだ。非生産的で自由奔放な抽象画への風当たりが強くなっていったのである。」