Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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シュルレアリスムへの導入
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳 岩波書店)の冒頭には、現実生活に縛られている私たちのことを示す箇所があります。シュルレアリスムへの導入部分として書かれた文章です。「人生への、人生のなかでもいちばん不確実な部分への、つまり、いうまでもなく現実生活なるものへの信頼がこうじてゆくと、最後には、その信頼は失われてしまう。人間というこの決定的な夢想家は、日に日に自分の境遇への不満をつのらせ、これまで使わざるをえなくなっていた品々を、なんとかひとわたり検討してみる。」これが「シュルレアリスム宣言」の最初の文章です。現実的な生活を送る私たちは、境遇への不満があってもなかなかそこから抜け出せない状況を語っているのです。「もともと限界など認めないものであったあの想像力に対して、もはや、恣意的な効用性の法則にそって活動することしかゆるさなくなる。想像力のほうも、そんな低次の役割をいつまでもひきうけているわけにはゆかず、一般に、20歳のころになると、いっそ人間を光明のない運命にゆだねてしまうことを好む。あとになってから、たとえば愛のような例外的な状況の高みにいることができなくなり、生きるための根拠がすべてすこしずつ失われてゆくのを感じて、あちこちで自分をとりもどそうとこころみたとしても、なかなかうまくは行かないだろう。」想像力にしても次第に欠乏していく様子をここでは描いています。「のこるは狂気である。『とじこめられる狂気』とは、うまいことをいったものだ。とじこめられていようといまいと…。事実、だれもが知っているように、狂人たちが監禁されるのは法律上とがめられるべき2、3の行為のせいにすぎず、そういう行為さえおかさなければ、彼らの自由は(外に見える自由は)危険にさらされるはずもないだろう。」さて、ここからどのようにシュルレアリスムの概念に繋げていくのか、興味が尽きないところです。引き続き読んでいきます。