Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「溶ける魚」を読み始める
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳 岩波書店)の「溶ける魚」を読み始めました。書籍の前半に掲載されていた「シュルレアリスム宣言」によると、「溶ける魚」はシュルレアリスム言語として自動記述によって書かれた文学作品であることが分かっています。頁を捲ると溢れるばかりの詩的言語で綴られていて、「溶ける魚」の1から32まである単元の主旨をそれぞれまとめることは不可能だろうと感じました。自分なりに気に留めた箇所の引用をしていこうと思います。こうした引用が愈々自分の常套手段になりつつありますが、今回ばかりは詩的発想をどう扱うかを考えた結果、引用しかないと思っています。私は「溶ける魚」という題名をどこかで聞いた気がして、いろいろ自分の記憶を探っていたところ、自宅の書棚を見て、漸く思い出しました。学生の頃、愛読していた「思考する魚」(池田満寿夫著 番町書房)からきていたのでした。「シュルレアリスム宣言」の中にこんな記述があります。「溶ける魚といえば、私こそがその溶ける魚なのではないか、げんに私は〈双魚宮〉の星のもとに生まれているし、人間は自分の思考のなかで溶けるものなのだ!シュルレアリスムの動物界と植物界は、おいそれと打ちあけられないものである。」一方、「思考する魚」にも題名を決める対話の中で「そうだいっそのこと『思考する魚』ってのはどうだろう?”考える葦”というのもあるけれど、『思考する魚』。うんこれだ。これでいこう。ブルトンの詩集かなんかにありそうな題だが、あれはたしか『溶ける魚』だったネ。あるいはクレーの画題にもありそうだ。」という内容が掲載されていました。池田満寿夫もブルトンと同じ魚座だそうで、そうしたことが題名に反映していることが分かりました。本書は1974年11月に初版が出ていますが、私の手元にはその初版本があります。版画家として名声を確立していた著者は当時私たち美大生の憧れの的だったように記憶しています。