Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「季節」について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅰ部 現代の美への目覚め」の「第一章 季節」についてまとめます。「アンドレ・ブルトンはたしかに1896年2月19日午後十時、オルヌ県(ブルターニュ地方)の郡役所所在地であるタンシュブレーで生まれた。」ブルトンは誕生日を一日遡らせたことがあったようで、文章に「たしかに」と断っているのはそのためです。「家系調べを、ブルトンは中年になってから自分自身でおこなっているが、そこには二重の目的がうかがわれる。この調査によって、ブルトンの真のルーツがあきらかになり、彼は青い海原につきまとわれた人物ではなくて、アンドレ・ドランに冗談でいったように、決定的に『田園の男』であることを思い知らされたのだ。」そして学齢期がやってきます。「六歳になるとすぐに、彼はパンタンの公立小学校に入る。勤勉で真面目な生徒で、学業成績はきわだって良く、ほとんどの学科でトップクラスだった。」母との確執も描かれています。「彼は母のブルジョアぶった世間体を気にする態度と、彼自身にたいする厳しさと、労働への崇拝を嫌悪した。~略~彼がシュルレアリスト・グループの連帯を求め、祖国、宗教、労働、家族などの観念にたいしてともに嫌悪の情を示すよう促すにいたった過程をよく理解するためには、モラルの面で母が彼にたたきこんだであろうことがら、とりわけ女性との関係において、しぶしぶ守りとおした母の教えを無視すべきではない。」やがてブルトンはバカロレアに合格し、テオドール・フランケルという友人も得ました。美術に関する文章もありました。「ギュスターヴ・モロー美術館は、彼の言葉によれば『つねに(彼の)愛し方を条件づけた』。~略~モローの描く女性たちのポーズや顔だちをつうじて彼が美と愛の啓示を受けたのは、この美術館でのことだった。~略~ブルトンの芸術的感受性には大胆なところがあった。12歳で、彼は学校の成績が良かったご褒美のこづかいをすっかりはたいて、アフリカの仮面を買ったりしている。蒐集家的な情熱はごく若い頃から目立っていた。」詩人ヴァレリーにも傾倒していた様子も描かれていました。「『はるかな海原の透きとおったとても青い』切れ長の目で、ヴァレリーは若者をじっと見すえた。彼の会話は、予期せぬ話題に満ちて心地よかった。どんな願いから詩に向かうようになったのかと問われて、ブルトンは『こめかみに微風があたる感覚によってあらわされる身体的不安』をひきおこすような状態に等しい状態をわがものとすることしか望んではいない、と答えている。」今回はここまでにします。