Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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2人の夭折画家の展覧会
「早熟な天才だったシーレは、『露悪的で非道徳』との批判を受けつつも、多くの作品を残した。だが、第一次世界大戦が始まり、兵役で創作活動が一時困難になる。終戦の直前にスペイン風邪で亡くなった。その時代をたどるとき、同様に画家を志した一つ年上の独裁者を思わずにはいられない。シーレが16歳で合格したウィーン美術アカデミーを翌年に受けたヒトラーは、2年連続で落ちた。」これは数日前に朝日新聞天声人語に掲載された抜粋記事です。ウィーン美術アカデミーは、私が1980年から5年間在籍した美術学校で、シーレは私の先輩にあたることになり、もしヒトラーが合格していたら独裁者になったかどうか推測の域は出ませんが、別の人生が用意されていたのかもしれません。そんなこともあってエゴン・シーレは私にとって身近な画家なのです。現在、上野の東京都美術館で「エゴン・シーレ展」が開催されていて、今日見てきました。ウィーンで慣れ親しんだシーレの画風でしたが、東京で見ると違って見えることに少々驚きました。やはりシーレも西欧の伝統絵画の上に、斬新で前衛的な傾向を巻き起こした画家なのだと改めて認識しました。そう考えたのも東京駅にあるステーションギャラリーで日本人画家佐伯祐三の作品を集めた展覧会を開催していて、奇しくも国籍が違えど夭折の画家2人が同時期に展覧会をやっている偶然に出くわしたからです。佐伯祐三の絵画はいかにも日本人が学んだ油絵であり、その卓抜した技法に嘗ての私は憧れを抱きました。高校時代に芸術教科のなかで美術を選択した私は、油絵の初歩を担当教員に教わっていました。当時は佐伯絵画が西欧全般を纏ったものに見えて、私はすぐに模倣を始めました。高校の校舎のコンクリートの壁を朽ちた状態にしてペインティングナイフでざらついた効果を出していましたが、その雑多な色彩の鬩ぎあいが西欧絵画で言うところの野獣派であったことなど、当時の私は知る由もありませんでした。今、シーレの絵画と佐伯の絵画を見てみると、佐伯の世界はいかにも陰に籠った暗さがあって、日本の風土を背負っているように感じています。西欧人と日本人の血統の違いなのか、環境の違いなのか、自分でもよく分かりませんが、私もウィーン美術アカデミーで経験した民族の差異のようなものを思い出していました。2人に共通する部分を探るとすれば、2人とも早世だったことで、逸る気持ちと創作意欲が爆発し、センセーショナルなテーマに一貫されていたことです。時間を要した完成度ではなく、その衝撃性に人を惹きつける要素があると感じました。エゴン・シーレ28歳没、佐伯祐三30歳没。とてもこの文章だけでは語り切れず、機会を改めてそれぞれの詳細を述べたいと思います。