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「狂気の愛から黒いユーモアへ」(前)について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅳ部 革命の警鐘」の「第二章 狂気の愛から黒いユーモアへ」(前)についてまとめます。シュルレアリスムの国際化を踏まえ、オブジェについての考え方が書かれていた箇所がありました。「オブジェを哲学的な意味でとらえ、ヘーゲルが述べるように感覚的なものと理性的なものの中間におくことで、彼(ブルトン)は、表象の配慮から解放された画家や詩人を動かしているのもおなじ思考方法であり、『意識の内的世界との関係においてのみ自然を考察すべきだ』ということを示したのである。アルプやダリの作品、郵便配達夫シュヴァルの理想宮のようなモダン・スタイルの建築は、その頃になって出回るようになった詩的オブジェとおなじように、非理性の具体的なかたちの例となっていた。~略~詩的オブジェはユーモアと偶然に左右されるのである。画家も詩人も同じ役割を演じる。すなわち、心的な表象をイメージ、とりわけ比喩によって客観化し、心理的オートマティスムを作動させて、ダリの場合のような偏執狂的=批判を激化させるか、またはマックス・エルンストの場合のようにコラージュを実践するのである。」パリで開かれた文化擁護のための国際作家会議においてトラブルが発生しました。「すぐさまブルトンは通りを渡って、『ソ連の一作家の視点』の著者にたっぷりと平手打ちをくらわせた。この本の中でエレンブルグは、シュルレアリストを腐りかけた肉にたとえ、『彼らはヘーゲルもマルクスも革命も歓迎するが、それでいて、働くことを拒否するのだ。彼らにはほかにやることがある。たとえば、少年愛と夢の研究をすることだ…』と書いていたのだ。スターリンに道化と呼ばれていた男は自己弁護をしなかった。~略~ブルトンにしてみれば、在仏ロシア人の雑文家にすぎないと思っていた男に中傷されたので懲らしめただけのことで、自分が立ち向かった相手がこの会議におけるソ連代表団の一員だとは知らなかったのである。」ということがあって、ブルトンが会議で発言することが許されず、代理の者が演壇に立ったのでした。「最後に、真夜中の零時過ぎになって、エリュアールは演壇に上がり、アラゴンとツァラに挟まれるようにして、ブルトンの用意した演説を読み上げた。その内容は、調印されたばかりの仏ソ条約にたいして厳しいものだった。知識人に向けて、批判感覚を失わないようにし、両国のこうした接近のせいで愛国精神が助長され、それがドイツ国民にたいする反感に転化しないよう、条約の成り行きを監視するようにとの呼びかけがあった。」今回はここまでにします。