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「狂気の愛から黒いユーモアへ」(後)について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅳ部 革命の警鐘」の「第二章 狂気の愛から黒いユーモアへ」(後)についてまとめます。ここではブルトンが娘に語る場面が印象に残りました。「『きみが大きくなったら、ぼくが愛や人生や革命やその他のことについて知るところを説明してみよう。あまり実際の生活で役立ったりしないと思うかもしれないが、でもこれは名誉なことなのだよ。』この夏に経験した愛情の危機を、ブルトンはジョー・ブスケにも打ち明けていて、驚いたブスケは、つぎのように書いて寄こした。『私の眼にはあなたは強く、意思の固い人としか映りませんし、あなたがそういう人であるなら、気力が萎えるといったこともないと思います。じつをいえば、あなたにも苦しむことがあるなどとはとても想像できなかったのです。』われわれもまた、ブスケ同様、ブルトンがその文章におけるように強靭であると思い描いていないだろうか?ところが、ブルトンも悲しみや孤独や周囲の無理解のために涙を流したりもしたのである。」本章の後半に革命家トロツキーとの出会いが書かれていました。「ジャクリーヌとともに、ブルトンは〔1938年〕3月30日に発動汽船オリノコ号に乗り込んだ。穏やかな航海ののち、4月18日にベラクルス(メキシコ)に上陸する。~略~国営新聞でブルトンの到着を知ったディエゴ・リベラが駆けつけた。この高名な壁面画家は、ブルトン夫妻の滞在中(それは4ヶ月におよぶ)、二人をもてなしたいと申し出たばかりか、翌々日にトロツキーが招待している旨を彼らに伝えたのだ。~略~話してみると、トロツキーがいかにも若々しく、相手を心地よくさせるユーモアの持ち主で、辛い試練を経てきているにもかかわらず穏やかな様子なので、ブルトンは驚きを隠すことができなかった。~略~トロツキーは『シュルレアリスム宣言』『ナジャ』『通底器』そしておそらく『狂気の愛』も手許に持っていたものと思われる。ただ、彼はもっぱら小説を好み、文学的な知識はせいぜい象徴主義あたりまでしかなかったので、シュルレアリスムの歩みを必ずしもよく理解できないでいた。一方のブルトンは、ずっと以前から、トロツキーを読むたびに感嘆の思いを抱いていた。彼はいまこそ、当のトロツキーの口から、どのようにして革命への信念が形成され、それが保たれてきたのかを聞かせてもらいたいと考えていた。~略~『われわれが望むもの、それはー革命のためのー芸術の独立であり、そしてー芸術の決定的な解放のためのー革命である。』そのため彼は、宣言の原稿をブルトンの手にゆだねたのである。『ブルトンとはたがいによい友達として別れた』と、トロツキーは8月4日にジェラール・ローゼンタールに書き送っている。」今回はここまでにします。