Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「ニューヨーク」について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅴ部 移住と亡命」の「第二章 ニューヨーク」についてまとめます。ニューヨークに到着したブルトンは、ペギー・グッゲンハイムが企画した展覧会に関わります。「『今世紀の美術』のタイトルのもとに、展覧会は近代美術館で1942年10月20日に開かれた。ブルトンの序文『シュルレアリスムの起源と芸術的展望』は、この運動の歴史を造形および絵画の視点から跡づけたもので、アーチストたちによる外的オブジェと内的モデルの間の総合に力点がおかれていた。その中で、いままであまりにも長きにわたって神秘思想ではないかと疑われてきたシャガールがようやく正当に評価された一方、サルバドール・ダリは、今後、ドル亡者と呼ばれることになり、アカデミズムや商業的な成功から彼を引きもどすことはもはや不可能だと結論づけられた。」またこんなエピソードもありました。「マックス・エルンストにたいするブルトンの関係は、全面的な信頼の上に打ち立てられてはいなかった。エリュアールと袂を分って以来、ブルトンは慎重な態度をとっていたのである。画家は才気ばしった言動に出て、誰もそれに反応できないということになりはすまいか?一度ならず、ペギー・グッゲンハイムはエルンストとの恋愛関係のもつれにブルトンを立ち会わせていた。しかしながら、ブルトンはエルンストの適応能力、自己の芸術表現の追求において一歩も譲ることなくアメリカ社会に溶け込むその能力を、高く評価していた。」そのうちブルトンはエリザと巡り合います。「1945年7月31日、ブルトンも願いを実現させた。すなわち、ブルトンはジャクリーヌと離婚し、婚姻財産契約も交わさずにエリザと再婚したのである。ところが、ニューヨークにもどった時点でフランス領事館の戸籍簿に婚姻届けを出すのを忘れたため、何年もたってから、手続きをやり直すはめになる。」ブルトンはハイチに渡ります。「『シュルレアリスムは有色人種の人びとと固く結ばれている。なぜなら、シュルレアリスムは、あらゆる帝国主義および白人による略奪の形態に反対し、つねに有色人種の側に立ってきたからだ。』ブルトン自身が文字にした回答は、開放的かつ予言的な力をもつものとして詩を規定し、芸術上の探究のためにシュルレアリスムがじゅうぶんな自由を持ちつづけることの必要性に言及している。」やがてアメリカを去るブルトンは帰国の途につきました。「造形芸術を除けば、シュルレアリスムの接ぎ木はアメリカではほとんど育っていなかった。それにたいし、フランスからの訪問者にはアメリカの小説家から学ぶべきものが沢山あったのである。アメリカでの自分はあくまで亡命者だと見なしていた~略~ブルトンは、戦争の終結後、フランス帰国を考えていた。」今回はここまでにします。