Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「1958年の序文」について
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の巻頭にある「1958年の序文」の中で、気に留めた箇所を引用いたします。著者は序文の中にもマルセル・デュシャンという特異な芸術家の考え方を反映させていて、私としては嘗て見たデュシャンの造形作品を思い起こしながら、序文を丁寧に読んでいました。「アンドレ・ブルトンは次のように的確に指摘する。『現実の問題は、可能性との関係においては、苦悩の大きな源泉であり続ける問題であるわけだが、ここではもっとも大胆なやり方で…つまり〖物理化学法則を少しゆるめて〗解決されるのである。』ブルトンは続ける。『疑問の余地がないことだが、造形芸術の領域でデュシャンがこうした方法によって辿り着きえた独創の数々の厳密な時間的順序を人々はのちになって確定しようと躍起になるだろう。後世の人々がもっぱらできることといえば、その流れを体系的に遡行し、慎重にその紆余曲折を描き、デュシャンの精神だった秘匿された宝を探求すること、そしてその向こうに最もまれなるもの、最も貴重なもの、つまり時代の精神そのものを探求することなのである。そこでは、最も現代的な感じ方の奥深い秘伝伝授が問題になるのである。そしてそのユーモアはこの作品のなかに暗黙の条件であるかのように提示されている。』」これはシュルレアリスムを体系化したアンドレ・ブルトンによるデュシャン評が端的に述べられている箇所で、デュシャンの秘匿された宝とは何かを知る手掛かりが本書には書かれているようです。ただし、デュシャンの表現に対する特徴が書かれた部分もあって、私はホッと胸を撫で下ろしたところでもあります。「デュシャンの手は、彼が何を言おうとパレット向きにできており、ペン向きにはできていなかった。書くことは彼にとって嫌な仕事なのである。その作品の少なさは、それゆえこうした嫌悪感による。しかし、デュシャンの精神はそれでも知的表現に向けられるのであり、その最も適切な表現はやはりエクリチュール〔書くこと〕なのである。」今回はここまでにします。