Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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上野の「東福寺」展
昨日、東京上野にある東京国立博物館で開催している「東福寺」展に行ってきました。京都の東福寺は過去に何度か訪れたことがありますが、いずれも重森三玲が作庭した「八方の庭」を鑑賞するためでした。今回は東福寺の宝物をじっくり見る機会があって、非常に楽しい時間を過ごせました。展示会場の最後の部屋には鎌倉時代の慶派仏師による仏像が並び、その圧倒的な存在感に満足を覚えましたが、この展覧会を通して私が感銘を受けたのは、僧侶にして画聖となった吉山明兆の存在でした。図録には雪舟と並ぶ画聖とあり、私はこの展覧会を見るまで明兆を知らなかったことを恥ずかしく思います。確かに明兆の筆から迸る力量は画聖と呼ぶに相応しい才覚があり、私はじっくり鑑賞をさせてもらいました。「『衣は破れるも戒を破らず、身は貧すれども道は貧せず』とあるのは『画道即仏道』とも言うべき画聖明兆の真骨頂を示したものであろう。」(石川登志雄著)また本展の見せ場となっている「五百羅漢図」は学芸員による楽しい工夫があって、私は羅漢の台詞に笑いつつ物語を眺めていました。「現在東福寺には、五百羅漢図の下絵と称される紙本白描画が五十幅伝わっている。五百羅漢図の本絵を制作するために明兆が描いたものと伝承されてきたが、これまでの研究では、はたして本当に明兆が描いたものなのか、あるいは後世の写しなのか、はっきりとした結論が出ていなかった。本展の準備にあたり、本絵と下絵とを詳細に比較検証してみたところ、やはり明兆自身が描いた下絵とみなしてよいことが確認できた。~略~下絵に見られる躍動感あふれる筆致や特徴的な短い岩皴などは、ほかの明兆作例とも共通するものであり、これを明兆筆として認定することに支障はないだろう。また、下絵の画面内には、『朱』『白』など色の注記が多く見られるが、いずれも本絵に施された色味と合致しており、色彩の指示書きであることがわかる。このことは、明兆による五百羅漢図が、工房的な作画体制のもとで制作された可能性を示唆するものとして興味深い。」(高橋真作著)どのように制作されたのかは鑑賞後図録で確認して、私はここに記しているのですが、実際に目にした五百羅漢図は、こうした背景を知らずに目に飛び込んでくるので、筆致に新鮮な驚きがあり、羅漢それぞれの豊かな風貌があって、暫し時間を忘れてしまうのです。鑑賞はファースト・インパクトが大切だなぁと思っています。