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note

「花嫁のヴェール」➂について
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第一章 花嫁のヴェール」は、デュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」という大きなガラスを使った代表作品の思考経路やその思索を紹介した章です。昨日のNOTE(ブログ)に書きましたが、著者はこの章の内容を解釈することではなく、解説的カタログをなす資料を提示することだと念を押していました。それでも解説的カタログでさえ私には難解な箇所が多く、創作ノートやメモでは作家本人でしか分からない語彙で溢れていました。その中でも比較的平易と感じたものを引用いたします。「可能なるものの表示(不可能なものの反対のものとしてでなく ありそうなことに対する相対的なものとしてでもなく ほんとうらしいものに従属するものとしてでもない)可能なものは、美学的なもの美的なものすべてを焼き尽くす ただただ物理的『腐食剤』〔濃硫酸の類〕である」さらに〈グリーン・ボックス〉に続く〈ホワイト・ボックス〉があり、その中で著者によるこんな文章がありました。「マルセル・デュシャン自身の認めるところによれば、この章に含まれる幾何学的考察はガストン・パウロフスキーの空想未来小説『四次元への旅』(1912年刊行)がデュシャンに着想させたものである。」デュシャン自身のメモを引用します。「『芸術』でないような作品をつくることができようか。ショーウィンドーの問い、ゆえに ショーウィンドーの尋問を受けること、ゆえに ショーウィンドーの要請、ゆえに ショーウィンドー、つまり外部世界の存在の証し、ゆえに ショーウィンドーの尋問を受けるとき、自分自身の〈有罪判決の宣言〉もする。実際、選択は往き戻る。ショーウィンドーの要求から、ショーウィンドーに対する不可避的返答から、結果として選択の停止が出てくる。ショーウィンドーの一つまたはいくつかの物品とガラス越しに交接することを隠そうと、背理法を使って躍起になることのないように。所有が完遂されるやいなや、ガラス〔鏡?〕を横切ることに、後悔することに苦痛が生じる。よって証明された。」街中のショーウィンドーを眼にしたデュシャンがそこから発想を膨らませ、自ら考える「芸術」について思索したのではないかと私は想像しました。今回はここまでにします。