Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「マルセル・デュシャン全著作」読後感
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)を読み終えました。デュシャンは芸術における概念の破壊者であることは伝わりましたが、意味が読み取れないものも結構多かったという感想を持っています。まとめとして「訳者あとがき」より文章を拾います。「デュシャンとの親交がありダダの実証的研究に従事してきたサヌイエが、散逸しかかっていたデュシャンの著作を一冊の本の形式にまとめて出版したことの意義は小さくない。もちろん本来であれば、ノート類はデュシャン自身の編集作成した〈グリーン・ボックス〉や〈ホワイト・ボックス〉などのようにボックス形式で複製し再出版すべきなのだろうが、そうなればなったでデュシャン神話やデュシャン・フェティシスムが助長されるばかりであったろう。」本書はテクストを単純に特徴別に配列しています。「第一章『花嫁のヴェール』は、言うまでもなく〈大ガラス〉に関するノートからなる。それらは、デュシャンが美術の世界だけでなくエクリチュール[書くこと・書かれたもの]の世界そして思考の世界に踏み込む契機になったメモ類である。」次に「第二章『ローズ商会』は、言葉遊び集であるが、常識では発想しえない言葉の新しい使用法を見せたり、地口・文字の入れ替えや移動や省略・漸新的ずれ・新造語などによって予想もしなかった意味あるいは無意味を暴露する。」次に「第三章『批評家マルセル・デュシャン』では、1915年以後デュシャンがまるであらゆる束縛から逃れるかのように、定住地を決めずにたえずヨーロッパとアメリカとの間を往復して過ごし、またさながら新しい芸術の(非造形的)制作者にしてその配達人であるかのようだったことが見てとれる。~略~タイトルは批評家だが、批評家として見るのではなく、他の芸術制作や自分の制作にデュシャン自身がどのようにかかわり、どのようにデュシャン的作用を浸透させていたかその軌跡と見る方がよいだろう。」次に「第四章『テクスティキュール』は、どの章にも分類できなかった非造形的制作あるいは造形的制作の非造形的部分、それらのための活動日誌、手紙、解説、メモ類である。」これが本書を構成する内容ですが、デュシャン以降の芸術家たちの動向を書いた箇所がありました。「ヨーロッパ系の芸術家たちはデュシャンから出発しながら、もう一度デュシャン的問題を芸術のなかで発展的に展開し、いつのまにか現代芸術(一種の美学)の歴史をつくってしまった。事物に対して、制作に対して、アメリカの芸術家たちが総じて無関心な態度をとれるのに、彼らヨーロッパ系の芸術家たちには払っても払っても非芸術(非美学)=芸術(美学)、現実=非芸術的=芸術という問題系がついてくる。」以上で本書を閉じることにいたします。