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「仮面と人格」について
「仮面の解釈学」(坂部恵著 東京大学出版会)の「Ⅱ 仮面の論理と倫理にむけて」のうちの「1 仮面と人格」について気に留めた箇所を取り上げます。「〈仮面〉は、この〈身〉において具体化され表示される間柄ないし役柄のいわば弁別的特徴を、とりわけてことさらいわばメトニミック(換喩的)に顔面に集中し、また、他者との対比的な関連において、〈間柄〉においてはじめて意味を受け取るそのメタフォリック(隠喩的)な側面をとくに取り出して誇張したものにほかならない。」これは〈仮面〉についての意味内容を一言で著したものです。次に西欧的表現について触れた箇所がありました。「〈ペルソナ〉あるいはそれに由来する近代西欧諸語の表現を、判で押したように〈人格〉と訳さないで、ときに、〈おもて〉〈ひと〉〈ひとがら〉〈身〉〈みがら〉などの語に置きかえてみることによって、元来そこに含まれている多様な意味合いをあらためて引き出してみることにおのずから通じると私が考えるゆえんである。」さらにこの章の後半に著者による思いが込められた箇所がありました。「一個の〈ひと〉として、〈正気〉の〈ひと〉として、〈わたし〉を形成することは、総じて、その時代その社会によって承認された想像的・象徴的体系(ひろい意味での〈形而上学〉をふくめて)に〈憑かれる〉ことなのではあるまいか。わたしは文明人だから何ものにも〈憑かれ〉てはいない、と妙に醒めたつもりで利口ぶるよりも、あるいは何ものかに〈憑かれ〉ているのではないか、あまりにもその〈憑き〉が一般的であるゆえにそれをそれとして自覚することが容易でないのではないかと一度は疑ってみること、〈憑依〉を〈憑依〉としてさしあたり対自化し自覚しようと努めること、今日の時代を暗黙のうちに支配するおそらく一皮むけばたとえようもなくゆゆしくも不気味なさまざまな〈フェティシズム〉をあかるみに出そうと努めることは、わたしには、比較的にいって、より賢明な行き方のようにおもわれる。」今回はここまでにします。