Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「固有名詞と仮面のあいだ」について
「仮面の解釈学」(坂部恵著 東京大学出版会)の「Ⅱ 仮面の論理と倫理にむけて」のうちの「2 固有名詞と仮面のあいだ」について気に留めた箇所を取り上げます。「日常生活の〈俗〉の場面には姿をあらわすことがなく、ひとびとの目から覆いかくされている固有名詞や仮面は、こうして、〈俗〉なる領域の底から〈聖〉なる領域がたちあらわれオーヴァーラップされる場面にあらわれて、〈俗〉と〈聖〉の世界を、またいわゆる現実の世界と夢みられた世界とを多元的に重ね合わせ、統合する役割を果たす。」継続されていく論考の中から文章をピックアップしても、その時々に自分の理解があったしても、NOTE(ブログ)になった文章を後で読み返すと難解極まりないものになっているのに気づきます。次の文章はまさにそれで、著者によって鋭利解説されたものを、短くまとめていますが、所見の人には何を言っているのか分からない文章です。「〈意味する行為〉と〈指示する行為〉のすでにみたラッセルの短絡、〈固有名詞〉と〈指示代名詞〉のずるずるべったりな短絡、述語としてパラフレーズされるかぎりでの固有名詞とは区別された、孤立的な究極主語としての〈名前〉なるものが存在するという設定、これらのことがらの背後に、右(※上段)にみられたようないきさつの結果成立した〈現前の形而上学〉がひかえていることは、ここまでくれば、あらためてくだくだしく説くまでもなくあきらかであるといってよいだろう。」こうした論考の最後に私自身が反応できる文章が掲載されることもあり、それを引用してみます。「夢みられる世界を、粗雑にも、いわゆる現実あるいは実在の世界と、みずからそれと知らずして短絡し、このような現実といまや色あせ切った夢の世界を截然と分けへだててしまうかわりに、もう一度、神話を神話とし、夢を夢として、『その存在を追認』しつつ、それをいわゆる現実(うつつ)の世界との多元的な重なり合いのうちにあるひそやかな境位のうちに、こまやかな心づかいをもってまもり育て、わたしたちの生活の場の総体のダイナミックな統合にまでもたらす道をさぐってみること。」今回はここまでにします。