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note

「風土の現象」について
「風土」(和辻哲郎著 岩波書店)の「第一章 風土の基礎理論」の「1 風土の現象」について、気を留めた箇所を選びます。著者が本書を書いた契機が、1927年にベルリンで独哲学者ハイデガーの「存在と時間」(本書では「有と時間」と表記)を読んだことで、人の存在の構造を時間性として把握する試みに興味を覚えたことに始まったようです。「存在と時間」では時間性が主体的に述べられているのに、何故空間性に対する論理が乏しいのか、それならば風土に着目してみようと考えたことが要因でないかと私は文章から読み取りました。本書は高校生の頃に私が挫折した書籍です。60代で再読することになって、50年近い幾星霜の意味を考えさせられました。私は嘗て「存在と時間」を読み終えていて、曲がりなりにも、本書に登場する「存在と時間」に対する知識があるのです。それによって主体となる人間学的考察が何を意味するのかが理解できると考えました。「風土の現象」については次の文章が印象に残りました。「我々は寒さ暑さにおいて、あるいは暴風洪水において、単に現在の我々の間において防ぐことをともにし働きをともにするというだけではない。我々は祖先以来の永い間の了解の堆積を我々のものとしているのである。家屋の様式は家を作る仕方の固定したものであると言われる。その仕方は風土とかかわりなしに成立するものではない。」またこんなことも書かれてありました。「人間は単に風土に規定されるのみでない。逆に人間が風土に働きかけてそれを変化する、などと説かれるのは、皆この立場にほかならない。それはまだ真に風土の現象を見ていないのである。我々はそれに対して風土の現象がいかに人間の自己了解の仕方であるかを見て来た。人間の、すなわち個人的・社会的なる二重性格を持つ人間の、自己了解の運動は、同時に歴史的である。従って歴史と離れた風土もなければ風土と離れた歴史もない。が、これらのことは人間存在の根本構造からしてのみ明らかにされ得るのである。」今回はここまでにしますが、ここまで読んでみて思うところは、本書は何年経っても論理と品格が失われることなく、硬質な文章は咀嚼に時間がかかりそうな気がしました。これは名著なのかなぁとも思いました。