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古寺巡礼「百済観音」について
「古寺巡礼」(和辻哲郎著 岩波文庫)は単元で分けず、内容として私の興味関心を惹いたものを順次取り上げようと思います。今回取り上げる「百済観音」は法隆寺にあり、教職に就いていた頃の修学旅行でも、私事旅行でも訪れた寺院観光の定番と言えるところです。「百済観音は写実的根拠を有する点において聖林寺観音に劣らない。あの肩から腕へ、胸から胴への清らかな肉づけや、下肢に添うて柔らかに垂れている絹布のひだなどには、現実を鋭く見つめる眼のまがいなき証拠が現れている。しかしこの作家の強調するところは聖林寺観音の作家の強調するところと、ほとんど全く違っているのである。この相違のうしろには、民族と文化とのさまざまな転変や、それに伴う作家の変動などが見られるかもしれない。~略~抽象的な『天』が、具象的な『仏』に変化する。その驚異をわれわれは百済観音から感受するのである。人体の美しさ、慈悲の心の貴さ、ーそれを嬰児のごとく新鮮な感動によって迎えた過渡期の人々は、人の姿における超人的存在の表現をようやく理解し得るに至った。神秘的なものをかくおのれに近いものとして感ずることは、ーしかもそれを目でもって見得るということは、ー彼らにとって、世界の光景が一変するほどの出来事であった。彼らは新しい目で人体をながめ、新しい心で人情を感じた。そこに測り難い深さが見いだされた。そこに浄土の象徴があった。そうしてその感動の結晶として、漢の様式をもってする仏像が作り出されたのである。」現在は法隆寺大宝蔵院に安置されている百済観音ですが、由来を紐解くと謎が多いことが分かります。古い資料によると「虚空蔵立菩薩」と呼ばれていたらしく、他の寺院から法隆寺に移されたものという説もあるようです。百済観音が今のように有名になったのは本書「古寺巡礼」で和辻哲郎が語ったところの影響もあり、著者の観察眼に説得力があるのがよく分かります。何年も前に、私は生徒を引率する慌ただしい中で、百済観音を見ていた記憶が甦ります。すらりと伸びた仏像の姿勢に一瞬清らかな雰囲気がしたのが忘れられない思い出です。個人で訪れた法隆寺で改めて百済観音に対面し、暫し佇んで仏像の周囲に漂う空気を感じ取っていました。