Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

竹橋の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」
昨日、東京竹橋にある東京国立近代美術館で開催している「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に行ってきました。本展には建築に関する図面や模型等さまざまな資料があって、私の心は浮足立ちました。当時の建築家は現代のような分業化したものではなく、構造から装飾に至るまで全て建築家の力量に負うところが多かったのではないかと感じました。アントニ・ガウディは天性の感覚を持った独特な建築家でしたが、一世一代の大聖堂建築に資金を募ったり、私生活を仕事に捧げていました。それを受け継ぐ人々の力の結束が現在のサグラダ・ファミリアの全貌に繋がっていると思います。私は彫刻に関心があるため、図録に掲載された次のような文章に惹かれました。「ガウディは建築をつくるように彫刻を制作していた。サグラダ・ファミリア聖堂の降誕の正面には、聖書の様々なシーンを表現した彫刻群が配置されている。しかしながら、彫刻は観者の視点と距離が変わると、その見え方が異なってくる。そのため、いかなる距離や角度から観られても、自然にみえるように膨大なスタディ(制作と検証)を繰り返した。」さらにサグラダ・ファミリアに40年以上も関わっている唯一の日本人彫刻家外尾悦郎氏のインタビュー記事がありました。「ガウディは完成というのはこれ以上付け足すものがないという状態ではなく、これ以上省くものがないときに完成だという考えをもっていたと思います。ですから、ゴシック様式にしても極力削って、ほとんど構造上もたないようなゴシックにしておきながら、そこに必要最小限とも言っていいような、いろんなシンボルとなる彫刻を付けていった。生誕(降誕)の門は非常に饒舌な、いや饒舌すぎると言ってもいいような見事な彫刻が施されていますけれども、あれでもガウディにとっては足りなかったのではないかと考えます。ただ、これだけの彫刻があるからこそ、生誕(降誕)の門があのような不思議な形をしていても成り立っているのです。」建築も彫刻も構造体である以上、形態把握は同じで、それが一体化しているところに面白みがあると私は考えます。図録にはまだまだ興味関心があることが満載で、私はつい手に取って読み耽ってしまうのです。