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古寺巡礼「薬師寺吉祥天女」について
「古寺巡礼」(和辻哲郎著 岩波文庫)は単元で分けず、内容として私の興味関心を惹いたものを順次取り上げようと思います。今回取り上げるのは「薬師寺吉祥天女」です。「薬師寺吉祥天女」は普段は非公開なので、私は図版でしか見たことがありませんが、大変有名な作品です。本書を読んで一度はこの作品を見たいと思いました。ただし、特別公開に合わせて奈良県に行くのは厳しいなぁとも思っています。「卓上にはガラス張りの額にはいった薬師寺の吉祥天女が置かれた。一尺五分に一尺七寸五分という小さい画であるが、独立に画としてかかれた天平画のうちの唯一の遺品として、見のがし難いものである。絹よりもずっと目の荒い麻布の上に、濃い絵の具で、少し斜めに向いた豊頬の美人が画かれている。体を包む絢爛な衣は、細い緻密な線と、陰影を現わす巧みなくま取りとで描かれているが、その衣の薄さや柔らかさに至るまで遺憾なく表現し得たといってよい。特に柔らかい肩のあたりの薄い纏衣などはその紗でもあるらしい布地の感じとともに中につつんだ女の肉体の感じをも現わしている。束髪のようにきれいに上げた髪の下の丸々としたその顔もまた精神の美を現わすよりは肉体の美を現わしているというべきであろう。その頬の円さ、口の小ささ、唇の厚さ、相接近した眉の濃さ、そうして媚のある眼、ー誇大して言えば少し感性的にすぎる。細い手や半ば現われたかわいい耳も感性的な魅力を欠かせない。要するにこれは地上の女であって神ではない。ヴィナスに現われた美の威厳は人に完全なるものへの崇敬の念を起こさせるが、この像にはその種の威厳も現われていないと思う。しかし単に美人画として見れば、非の打ちどころのないものである。」この文章から察すると「薬師寺吉祥天女」は、肉感的な女を描いたもので、神聖なるものは存在しないという判断ですが、これはこれで面白いと私は感じました。古代から残されたものは神を表現したものが多いのに対し、人間を、しかも艶めかしい女を描いているのは歴史から見ても珍しい例ではないかと私は考えます。図版でしか知らない作品ですが、美しい画像であることは間違いありません。