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東京竹橋の「棟方志功展」

昨日、東京竹橋にある東京国立近代美術館で開催されている「棟方志功展」を見てきました。副題に「メイキング・オブ・ムナカタ」とあって、版画家の個人史に沿った回顧展になっていました。私は若い頃から棟方板画に親しんでいて、神奈川県の鎌倉や青森県にある個人美術館を訪れていました。その頃の私は版画の細部に拘っていて、棟方板画を目の前にすると、その彫りの粗さに気落ちすることもありましたが、棟方板画は私のイメージの中では縄文土器と同じような武骨で朴訥さに溢れたものとして印象づいていて、暫くすると再び見たくなるのが何とも不思議でした。あれから40年も経って現在の眼で棟方板画に対面すると、自分の意識が明らかに変わってきているのを感じました。彼が表現しようとした世界は何と生命力が漲っているのか、私は20代の驕りを反省し、また私自身のつまらない微細を吹き飛ばす爆発がそこにはありました。どうしてこんな世界観が生まれたのか、図録から関連する部分を引用いたします。「民藝運動と棟方の出会いのきっかけが、1936(昭和11)年の第11回国画会展《大和し美し》のサイズ超過のための陳列拒否騒動だったのは象徴的である。結局、柳(宗悦)と濱田(庄司)のとりなしによって、額は二段掛けで無事展示されることになった。~略~一枚の版画を何枚も組み合わせて、一つの巨大な作品にするという棟方の考え方は、彼自身が作品のタイトルに名づけた『柵』という単位にも通じる。『柵』とは巡礼者が寺を廻る際に納めるお札のことで、1柵1柵と念願を込めて作った作品が、生涯を通じて連なっていくことを棟方は考えていた。~略~この屏風装という形状は、棟方が国際展の舞台に立つ際にも功を奏した。『世界のムナカタ』の名声を決定づけた1956(昭和31)年の第26回ヴェネチア・ビエンナーレの際、棟方の作品はすべて屏風装で出品。一部は天井の梁から吊られて展示されている。竣工したばかりの吉阪隆正設計による日本館のモダンで伝統的な空間のなかで、棟方の屏風は、見事な展示効果を上げたようだ。」(花井久穂著)