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「遥かなる南洋へ」について
「土方久功正伝」(清水久夫著 東宣出版)の第三章「遥かなる南洋へ」の気になった箇所を取り上げます。「昭和4年(1929)3月7日の朝9時過ぎ、久功は、兄・久俊、弟・久顕、金子九平次、三沢寛たちに見送られて、南洋航路船・山城丸に乗船し、横浜港を発った。」こうして土方久功はパラオに向けて出発しましたが、パラオでは大工の杉浦佐助との出会いがありました。「佐助はパラオ歴13年のつわものだったし、早くに南洋に来た人達が皆そうであるように、島民の中にもぐりこんで仕事をして来た人である。おのずからパラオ語の会話は達者だった。それで久功は、これからパラオ人の遺跡遺物をはじめ、習慣土俗、神様と信仰、氏族と地域集団組織…そういうものを探してパラオ中を歩きたいので、通訳になって、自分と一緒に歩いてくれないか、そのかわり、描く、彫るという実技のほかに、芸術解剖学、美術史、美学などを勉強するのを手伝う、というようなことを言った。」また久功が異文化へどう馴染んだかを書いた文章もありました。「何でも見てやろうというのがちょっとはやったが、何でも食ってやろうというのが、ひどく変わった土地に入りこむ秘訣のようだ。私は土地のものを何でも食べて、土地になじみ、病気をせず、精神的にも朗かだったようにおもう。」また仕事も見つかりました。「6月になると、念願かなって、南洋庁の嘱託に採用されることとなった。仕事の内容は、島内の公学校所在地に2,3カ月ずつ滞在し、木彫制作の講習をすることであった。」久功が希望した民族学調査にも進展がありました。「ガラルドでは、年末まで公学校で木彫の講習を行うとともに、引き続き民族学調査を行った。一見、コロールにいた時とさして変わらない生活に見えるが、久功にとって、大きな出来事があった。信仰的新結社モデクゲイの幹部イックルケヅと主導者コーデップ(オゲシ)との出会いである。~略~その後、コーデップは久功が行った各地の調査に同行した。コーデップの協力で、久功は多くの神話、伝説を採集することができた。」今回はここまでにします。