Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「天からの声」について
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第3章 回心の光」の中の「2 天からの声」の気になった箇所を取り上げます。サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂に描いたカラヴァッジョの宗教画《聖パウロの回心》と《聖ペテロの磔刑》の2点、これはヴァチカンにあったミケランジェロ作品が念頭にあったものと思われます。こんな記述が印象に残りました。「画家がおそらくはいったん設置したカンヴァスを大幅に修正したのも、礼拝堂に差し込む光を画面に効果的に導入しようとしたからだろう。聖堂内の光と画面内のそれとの一致、斜めから見られるべく設定された構成によって作品は現実空間に接続し、奇蹟が実際に観者の目前で起こっているような錯覚を覚えさせるのである。奇蹟が現前で起こるというイリュージョンによって、礼拝堂内の日常的な地平が昇華され、観者は宗教的な感情に包まれる。従来の図像のように天の軍勢と光線がパウロを襲撃するような壮大なスペクタクルよりも、この改宗劇のほうがより現実的で深い説得力をもって理解されるのだ。カラヴァッジョはしばしば宗教画を卑俗な次元に引きずり下ろして冒瀆したと非難されてきたが、もっとも現実的な表現がもっとも神秘的な宗教性を与えうることに彼は気づいていたのである。~略~《聖パウロの回心》では、やはりパウロが神の声を聞いているが、画面にはもはや神の姿はなく、馬丁も馬も神の存在にも光にも気づいていない。パウロの閉じられた眼の内側でのみ奇蹟は静かに生起しているのである。神の姿を描かず、目を閉じたパウロの姿をクローズアップすることで、《聖マタイの召命》における内的な覚醒という意味が、より一層あきらかになっているのである。カラヴァッジョの斬新な聖書解釈がここでさらに深化したことがわかる。」今回はここまでにします。