Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「ヴィジョンへの参入」について
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第4章 幻視のリアリズム」から「2 ヴィジョンへの参入」の気になった箇所を取り上げます。この単元では礼拝堂などに収まっている宗教画ではなくく、移動可能な絵画について述べられています。「《ロレートの聖母》に見られた巡礼姿は、ロンドンにある《エマオの晩餐》にも登場する。~略~ここには劇的な明暗法と迫真的な細部描写のほかに、突出効果とでもよぶべき技法が駆使されている。ひとつはテーブルの端にある果物籠が手前に落ちそうになっていることであり、驚いて立ち上がろうとする左の使徒の肘や両腕を広げる右の巡礼の左手、さらにパンを祝福する中央のキリストの右手が短縮法で捉えられ、いずれも絵の表面を破って観者の空間に侵入するような効果を与えている。~略~《エマオの晩餐》の半身像の人物はほぼ等身大であり、この画面に向かう観者はこの夕食の席に参加しているようなイリュージョンをおぼえる。この作品は聖堂の広大な空間ではなく、邸宅の一室に飾る目的で制作されたため、画面の近くから鑑賞することが想定されていた。しかも、キリストの正面あたり、果物籠の置かれたテーブルの前には、観者が画中の食卓に臨席できるように、ほぼ一人分のスペースが空いている。」カラヴァッジョは作品がどこに設置されるか、どのような目的で鑑賞してもらえるかを計算して、画中に登場する人物のサイズを決めていたようです。しかも食卓であれば、観者である自分がキリストと対面できるような配慮もあり、従来の宗教画に比べると、風俗画的な要素として当時の反感を買うこともあったでしょう。現在の眼で見れば、そのリアリズムに時代を越えた写実性が認められるところです。「オラトリオ会もイエズス会も、イメージの効果を最大限に利用する反宗教改革的な思想を共有しており、歴史的・超常的なイメージを鮮明に喚起することを重視するという点で、いずれもカラヴァッジョのリアリズムに関連しているといってよいだろう。そして《聖パウロの回心》や《キリストの埋葬》に見られた、現実空間と画中空間との接続性、つまり、作品の設置された場そのものを劇場的な作品に仕立て上げる手法は、バロニオのトリクリニウムにその淵源が見られ、やがてベルニーニによって大成されるのである。」今回はここまでにします。