Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「瞑想の空間」について
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第4章 幻視のリアリズム」から「3 瞑想の空間」の気になった箇所を取り上げます。この単元では複数の絵画が登場します。まず《慈悲の七つの行い》です。「ナポリの裏通りを思わせる薄暗い場所で、七つの善行やそれを象徴するエピソードが、きわめて現実味の強いドラマとなって展開している。画面右端には巡礼と彼に宿を提供する男がおり、その周囲には聖マウリティヌスと乞食、背後には驢馬の顎骨から水を飲むサムソン、画面右では『ローマの慈愛』のキモンと彼に乳を与える娘ペーロ、その奥には遺体を運ぶ男たちがおり、上方から聖母子と二人の天使が見下ろしている。この主題を扱った従来の図像と大きく異なり、『制度的なカトリックともプロテスタントとも異なる彼のキリスト教的善行のヴィジョン』が実現されているものの、それぞれのエピソードをパッチワークのように集めて一画面に詰め込んだような窮屈さが感じられる。」次に《聖ルチアの埋葬》です。「構成上、この作品の源泉のひとつと思われるトンマーゾ・ラウレーティの《聖スザンナの殉教》に見られたような、殉教の勝利を表す棕櫚の葉も、上空を飛ぶ天使も見えず、単なる一人の人物がひっそりと埋葬される情景があるばかりである。画面奥に退いた哀悼劇は、声高に殉教聖人の栄光を謳うものではなく、死がもたらす絶望的な悲しみと救いのなさを重々しく語っているようである。~略~ここでも聖と俗が混在し、融合しているといえよう。つまり、グレコのように全体がひとつのヴィジョンとなっているのでも、クールベのようにあくまでも現実をありのまま写すのでもなく、現実の空間と歴史的な空間とを重ね合わせることで、普遍的な死への想念を触発するのである。」最後に数点の作品に触れた箇所があります。「この新たな傾向は、続くメッシーナ滞在時の《ラザロの復活》と《羊飼いの礼拝》、パレルモ滞在時の《生誕》に展開していった。いずれの作品も観者を画面に引き込むような迫真性は薄れ、画面を覆う闇に沈む人物たちの静かな奇蹟のドラマとなっている。~略~幽暗な画面に漂う瞑想的な雰囲気と、うなだれた聖母の醸し出す悲劇的な気配によって、現実的でありながら静謐な神聖さを感じさせる。民衆の素朴で熱烈な信仰心こそが神のヴィジョンを招来するのだが、それはまばゆく美麗なものであるとは限らない。神々しい聖母子のヴィジョンはいまや彼らの日常の現実と融合し、画中の卑俗な現実そのものが観者を取り込んで聖なるヴィジョンと化しているのである。」今回はここまでにします。