Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「ボルゲーゼ作品」について
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第7章 二点の《洗礼者ヨハネ》の主題 」の「3 ボルゲーゼ作品」の気になった箇所を取り上げます。「カピトリーノ作品の主題が洗礼者ヨハネではないという最も雄弁な根拠が、仔羊のかわりに牡羊が登場するという点であったが、角の生えた牡羊はボルゲーゼ美術館の《洗礼者ヨハネ》にも見られる。」未だに結論の出ていない作品に対し、様々な人が論考を寄せていて、聖書の解釈にかなり幅があることが私にも分かりました。「カピトリーノ作品の少年が微笑んでいるのに対し、ボルゲーゼ作品のヨハネは憂鬱そうな表情をしている。少年のモデルは同じボルゲーゼ美術館にある《ダヴィデとゴリアテ》のダヴィデと同一と思われ、それによって制作時期も同じ1609年あたりとされているが、思いに沈んだような表情も近似している。カピトリーノ作品についての最も早い記述は1613年のフランクッチの詩である。彼はガレリア・ボルゲーゼを賞揚する詩の中で、ラファエロの《十字架降下》に続き、カラヴァッジョの《洗礼者ヨハネ》について詳しく記述している。牡羊は誤って仔羊となっているが、作品の甘美で無垢で純粋な雰囲気やヨハネのやつれた顔貌や痩せた手足に注目し、彼がまだ来ぬ福音を待っているとしている。この詩が早くから指摘したように、このヨハネは旧約の世にあって贖い主の到来を待っているのではないだろうか。彼のもの憂げな表情もポーズも、何事かを待っている姿であると思わせる。そして、牡羊と棒の杖は、主の到来とともに仔羊と十字架に変わるのではないだろうか。つまり、仔羊ではなく角のはえた牡羊、十字架の横木の欠けた棒状の杖は、救世主がいまだ出現せず、人類の罪がまだ贖われていない状況を示すのである。これは、旧約の世にあって主の到来を予告したヨハネの位置を示すものにほかならない。」今回はここまでにします。