Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「詩と実在」について
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「詩と実在」は詩的な文体で綴られた単元で、どこを切り取っても密度のある内容に圧倒されますが、私は敢えて2箇所を選抜してピックアップさせていただきました。「詩は絶対を方向したように見えた。つねに絶対は方向から隠蔽するように見えたにもかかわらず。しかし詩における絶対の探究のなかには実在性がいつか結合されているのに気づく。詩はユニークな無、あるいはそれを必ずしも二元的な立場からではなくて、論理的に無詩ということのできるものから出発することは真実である。ぼくはぼく自身で定義したいのだが、無はいつも超感覚的であり、超存在的である精神をもっている。詩は文学上の他と同じような一形式にすぎないと誰れしも信じさせられながら、詩は反存在であるという明白な確信を同時に抱かされた。」瀧口修造は評論家であると同時に詩人でもあり、この「詩と実在」は我が家の書棚にある「瀧口修造の詩的実験1927-1937」(思潮社)に掲載されていました。「いわゆる言葉の錬金術がいかに中世的な趣味と人生観に満ちているかは今日明白な事実であるが、それが文学とくに詩的形式と呼ばれるものの多くの詩人に対する致命的な陥穽となっているにもかかわらず、詩に対する、または少なくとも作詩に対するひとつの信仰が継続する限りにおいて(あるいは詩的形式を単に世襲財産として尊重している限りにおいて)、それは今日もなお多種多様な変形として存在するのである。しかし言葉のもつ正確な制限はきわめて重要である。この内部には言語作用に対する正確な処理、したがって表現形式の範囲が規定されるだろうからである。」詩をいかに考えるか、言葉の表現に対する詩人の真摯な姿勢を感じ取れる箇所だと私は思います。