Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「アルチュール・ランボー」について
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「アルチュール・ランボー」について書かれた単元の気を留めた箇所をピックアップいたします。その前にランボーとは何者か、ネットからの記事を掲載いたします。「ランボーはフランス象徴派の詩人。 早熟の才を示し、16歳で初期詩篇を書き、文学界を驚かせる。 20歳で文学と縁を切り、世界を放浪。 アフリカで交易に従事し、37歳で逝去。」というのが早熟の天才詩人ランボーの略歴です。本単元ではランボーの代表作品「地獄の季節」の小林秀雄訳を取り上げています。「ランボーほど熾烈に〈日〉と〈夜〉との真理を等分にもっていた詩人はない。それは、彼の実験室を曝露した原因である。そしてまた、彼の領域が公衆の領域に混合する原因のようにも見える。『不眠の夜々』『平凡な夜曲』などにあらわれた幻覚は〈清々しい夢〉の連続である。〈あらゆる面貌を備え、あらゆる性格を持った、様々な存在を孕み群をなす感情の烈しく速かな夢。〉である。〈結構を持ち、諧調を持ったあらゆる可能性は、お前の椅子の周りを動くだろう。予見を許さぬ、完璧な諸存在が、お前の様々な経験に献げられるだろう。お前の記憶と感覚とは、正しくお前の創造する衝動の栄養となるだろう。…〉しかし彼が肯定した実在は正確にいってない。彼が残したのは方法のみである。」本単元では翻訳者に対しても労をねぎらう箇所がありました。「(翻訳しえないという性質はそれ自身絶対的のものではないから、この点についても、この努力された翻訳に対して、わたしは別個の敬意を払うものである。)わたしが方法といったことは単に作詩法に終始する問題ではない。むしろ彼は純粋詩というような腐蝕性の観念には永遠に無縁の詩人である。」外国語で表現された詩をいかに日本語に置き換えるか、むしろその言語の意味するところをよく理解して意訳をしていかないと私たちに伝わらないのではないかと、私は考えています。造形美術以上に、詩としてのコトバの感覚が異文化によって異なるのではないかと察するからです。