2024.06.28
今日のタイトルは大袈裟ですが、何もアカデミズムから近代や前衛に移行した時代やその潮流を述べたものではありません。もっと個人的な小さな問題点で、それでも美術専門分野を志した人なら誰でも陥りやすい課題を指しています。美術系の大学に入るために、高校時代に受験専用の予備校に通いますが、そこではギリシャ彫刻の石膏像や人物や静物を対象に徹底した写実デッサンを行ないます。その正確な把握でもって大学の合否が決定するため、受験生は必死になって画面に木炭や鉛筆を駆使して写実画を仕上げます。そこから入試で篩にかけられ、選抜されて大学生活が始まりますが、自信をつけた写実画のままでは、自分の表現に至らず、ついに自己表現活動を諦めてしまう学生もいます。芸術は創造と破壊の繰り返しと言われますが、最初に訪れる破壊行為は、過去の自分との訣別であり、アカデミズムからの脱却です。それには時間がかかる者もいて私がその例です。私は海外生活5年間をかけてアカデミズムからの脱却を試みました。先日個展で見た竹中直人の人物スケッチも写実を留めていないことを見取って、同期として嬉しくなりました。ただし、私は受験デッサンを否定するものではなく、アカデミズムを脱却しても名残として、その感覚が血肉化している場合もあると考えます。デッサンの何たるかを知っていると、どんな作品を作ってもそれが底に眠っていると私は思っています。どんなにダダ的なことをしても出鱈目にならないで、微妙なバランス感覚が働くのです。最終的にアートにしようとする意志が存在すると言ったらいいのか、ギリギリのところで美意識に辿り着くのかもしれません。創造と破壊を繰り返し、その思いの強さが人の心を動かすと私はアートを定義していますが、それは生半可にはいかない尊い行為だろうと思っています。